マナスル登頂報告 その5 BCから登頂まで(2)




▲【朝6時前のC1テント場とナイケピーク】


▲【トラバース後、直登するルートが見える】

【4月21日】C1 → C2 → BC

 起床する頃でも未だ脈拍が高く、順応が落ち着いていないようです。朝食はカレーうどんなどを作って、6時半頃にゆっくり出発します。少し登ってから最初にトラバースルートに入ります。途中、上部がセラック帯でセラックが崩壊し易い箇所の下を通過します。ここは雪崩れ多発地帯でもあります。トラバース後は、直登するルートに変わります。斜度はきつく45度程ありそうです。ここには我が隊のシェルパが設置した固定ザイルが張られています。ロープの色、種類で直ぐに判ります。
 この登りで初めてユマールを使います。慣れないユマールですが引き込んだ後、直ぐユマールを持ち上げる動作が思ったより負荷が大きく息はゼイゼイになり、途中で何度も休みます。この固定ロープ地帯を切り抜けるのに時間を要しました。ここを抜けてテラスで休憩します。 途中苦しくなった古老さんは次第に離れて行きます。三つ指さんと先に出発し、C2には12時頃に着きます。隊長との無線連絡で、古老さんは体調が良くなくて隊長の指示でギャルゼンとBCに向けて引き返したそうです。隊長は登って来るそうなので、C2で待つことにします。隊長はビーバース君と一緒に30分後に到着しました。隊長は古老さんと一緒でなければ早い登りです。
 一休み後引き返しますが雪が降り始め、次第に本格的な降りになります。雪が腐っていて固定ロープの所は緊張します。トレースも消えてしまい、BC直前では風も出てガスってホワイトアウト状態になったので、近くまで来ているのに我々のテントの方向が全く判りません。仕方なくGPSを取り出して、軌跡を確認しながら進むとテント群が10m先に突然現れた時は、ホッとしました。ぐったりしてBCに17時半に帰着できました。隊長と古老氏は1時間後帰って来ました。BCではブログさんがサマから戻っていました。新たにドイツ隊、台湾隊、日本の宮城の単独さんがBC入りしたそうです。


【4月22日】 BC

今朝はどんよりした天気です。今日は再び、ヘリコプターが飛来しました。おかげで今回もカトマンズから鶏肉や新鮮な野菜を入手できました。サマ村で住民がヤクの角で刺されて大怪我をしたそうで、たまたまBCにタムセルク国際隊の中にBCまでのトレッキングに来ていた外科医が居ましたので、緊急手術をするために呼ばれたようです。誰かの不幸が、我々の食卓を潤す事になるので、有り難い事ですが複雑な気持ちです。
古老さんは、日焼け止めを塗っても唇の日焼けでただれがひどくて困っていた所、隊長秘伝のマスクを伝授して頂いて良くなってきたとお聞きしました。早速私も促成栽培で呼吸が楽で鼻・唇辺りの日焼け防止マスクを作って、次からの高度順応活動で着けようと思います。
タムセルク国際隊ではテント村の中で、恐らくユマールの使い方であろうと思われる講習会が開かれているのが見えました。午後から雪が降り始め夜半まで続きました。、夜中に雪でテントがつぶされないようにシェルパ達が当番で雪かきをやってくれるので助かります。


【4月23日】 BC

朝から快晴です。今日も休養です。BCでは朝8時頃からナイケピーク側の山腹で10分おきにもなるかと思う程頻繁に雪崩が発生して轟音が響き渡っていました。その後天気が良くて日差しが強く、気温も上がってきましたので、ギャルゼンは洗面器の湯で頭を洗っていました。我々もテントの周囲の雪かきや、シュラフ・マットなどを干したりします。
ブログさんはC1までの高所順応ができていませんので今日、ダワとC1までの順応に出かけます。サマに降りたのが効果があったようで、体調が良かったみたいです。ダワはダワロープが埋まってしまったので、掘り出しをしてくれたそうです。15時半頃にBCに帰ってきました。
ブログさん達が登る途中で、ナイケコル手前のナイケピーク山腹のトラバース道で真近で雪崩が発生したのに遭遇して驚いたそうです。その地点を今まで通過した経験から、デブリは雪崩の末端に近くて勢いが弱まっているので、巻き込まれても流される距離はせいぜい20m程度で、最悪に陥る事は無いだろうと思いました。


▲【C2に向かう方向のC1のテン場】

【4月24日】 BC → C1

 朝は快晴。今日からC1〜C2〜C3(タッチ)〜BCの2泊3日の行程です。7時半に出発します。ブログさんは、昨日登っているので休養のため1日遅れで出発し、C2(タッチ)まででBCに帰還する予定です。C1までの道のりは今回が3回目になりますので知った道です。ブログさんが昨日出会った雪崩箇所もデブリは薄く、踏み跡もあるので楽に通過します。
 黒岩が見える頃、遠くに3人の人影が見えました。その内近付いて来ると女性を含む中高年の台湾隊の人達でした。彼らは恐らく今回が初めての順応行動のようでペースが遅いので、追い越して12時にC1に着きました。
 C1ではこの所の積雪で半分以上埋まっているテントが散在しています。先に着いていたシェルパ達は前から設営してあったテントの周囲を除雪し、デコボコになったテントの底を平らにする作業をやっていてくれていました。シェルパが一緒に泊まる時は水を作ってくれてペットボトルで渡してくれるので楽です。
 しかし、あまり気にしてもいられませんが、雪を集めてくる場所が悪いのか、水に痰のようなものが結構浮遊していました。シェルパ達は痰をそこらじゅうに吐く人が結構います。雪の中で吐いても除去されませんので、テントサイトの雪を集めると結構不潔な水になる可能性が高いのです。それに、BCと違ってトイレもタンクで集めたりしません。富士山やアコンカグアのようにトイレ袋を使ったりもせず、テントサイトの近くで行いますので、直ぐに雪で覆われて見えなくなりますが、埋もれた排泄物は結構多いのだろうと思いました。
 今日は1日天気が持ちました。今日のテントは三つ指さんと一緒です。


▲【先行してラッセルする外国の混成部隊】


▲【C2に到着】

【4月25日】 C1 → C2

 朝は快晴。夜半から風が強くなりましたが、日の出とともに風が収まって来ました。今回は、順応が進んだのか朝の脈拍は前回の100以上と比べて落ち着いて来ています。7時過ぎにC1を出発します。C2へクレバス帯の通過でユマールの登行は相変わらず苦しくてゼイゼイですが、2回目なので少し慣れてきました。このC1〜C2の核心部を越えるとテラスに出ます。
 ここで先行していた他隊に追いつきました。ロシア隊ほかの混成部隊です。我々が休憩している間に彼等は出発します。先頭は膝下辺りまでのラッセルですので急斜面では遅々として進みません。我々はゆっくり休憩しました。本来ならばラッセル交代すべきですが、先頭グループでも交代しているようには見えませんでしたし、私たちも追い付いてまで交代しませんでした。
 私たちは平均63歳のロートル部隊なので、シェルパを先に行かせても良いのでしょうけれど、若くて強い外人部隊にお任せです。余りラッセル泥棒という感覚にはなりませんでした。
 ゆっくりしたペースで登り、3〜4呼吸で1歩のペースで呼吸は荒いのですが、苦しくはありません。12時前にC2到着しました。いつものようにお湯を沸かしてのティータイムでたっぷり水分補給をします。相変わらずテントの中の作業は姿勢が苦しくて、辟易します。呼吸も荒いのがなかなか収まりません。
 夕食も終わって、お茶を飲んでいる時いきなり我々のテントの入口を開けようとする人が来たので、開けるとどこかで見た覚えのあるイラン人でした。陽気で口数の多い人で色々しゃべりながら、半身テントに珍入してハンディムービーを回します。そう言えば前回の順応にC1に向かう時出合って、人懐しこく話しかけて来て我々をムービーに撮った人だなと思い出しました。彼はしつこくて中々退散しそうもなく、陽気な人ですが少し食傷気味になりました。



▲【テント設営ができていないC3】


▲【ロシア隊の先頭の1人がC4に直接向かっている】


▲【テントが増えたBC、我が隊は中央左上】

【4月26日】 C2 → C3 → BC

 今日も快晴です。朝5;30の外気温は―14℃。起床する頃でも未だ脈拍が高く、落ち着いていないようです。出発で手間どって7時過ぎに出発します。振り返ると今までのようにナイケピークは見上げる程もなく、同じ高度に近付いて来ています。
 今日は先頭がダワです。快調に後を付いていきます。C3へは、C2までと違って斜度は緩く、ゆっくり一定のリズムで登るだけです。ノースコル手前の斜面にテントが小さく見え始める頃、ノースコルからの吹き降ろしの風が当たるようになって来ます。その内、地吹雪状態になって雪が顔に当たって痛くなります。後ろを振り返ると三つ指さんや古老さんは豆粒のように小さくみえますが、その辺りでは風は吹いていないようです。
 今日は未だダウンミトンを持って来ず、2重手袋だけです。手と足の指先がかなり痛みます。まだ、ここでは大丈夫だろうとたかをくくったのがいけなかったのです。最終に行う予定の寒さ対策をしなかったのを悔やみました。両手、両足ともずっとグー・パーを続けます。
 10時前にようやくC3テント場に着いた時、シェルパ達は未だテント設営をしていませんでした。どうやら、他隊の埋まって放置されたテントを掘り出して戦利品を捜していたようです。この頃から風が収まりました。早く着き過ぎて私だけが余計な風を受けた形になります。暫く休憩して下り始めると、ロシア隊の先頭が私が登ってきたC3の方のルートから反れて、直接C4の方に向かって行くのが見えます。更に下っていると、後続部隊もC4方面に続きます。
 その後、登ってくる隊長たちに出会うと帰って来るのが早すぎると言われます。C3はもっと上に設営すべきだという意味です。どうしようもありません。隊長から指示を出してもらうしかありません。下りは三つ指さんが早いのです。追い越して行きました。
 BCに戻って来ると随分テントが増えているのが一望できます。BCに17時頃に帰着した後、チェットさんの情報ではロシア隊は固定ロープが無かったので登れず引き返したそうです。しかし、BCの全体会議で、アルパインスタイルで登ると言っていたのは何だったんだろうとと思います。他隊が張った固定ロープを期待しているのなら、アルパインスタイルとは言えないんではないかなと思います。
 本日午後にはKK隊がBCに到着していました。我々のテントを見下ろすすぐ近くにテントを設営していました。KK隊はH隊長(大阪)、I副隊長(長野)、M隊員(三重)、T隊員(大阪)の4人で、我々がチョー・オユーから転進して来たのと違って、最初からマナスルを目指して来た隊です。H隊長を除いて、トラチャンハウスで既知の人達です。H隊長は、チャゲさんを通じて、エベレストに登らないかとのお誘いがあった方なので、早速挨拶に行くべしだったのですが、かなり疲れていましたので、下に降りて来られたI・Mさんに、明日伺いますと伝言 だけして頂くようお願いしました。


▲【KK隊のプジャ】

【4月27日】 BC

 今朝も快晴です。天気が良いので何隊かアタックに向けてC2に向けて進んでいる豆粒が見えます。足指に違和感を感じます。昨日、手足の指が寒さで痛みましたが、今朝になっても左足指の先端が時々痛むのです。大した痛みでもなかったので放っていましたが、靴下を脱いで見ると見た目は何の変化もありません。しかし、指先は全く感覚がありません。
 凍傷だと皮膚の色が黒くなったりする筈ですが、色の変化は無いし、肌の弾力も普通ですし、足指に力を入れて踏ん張ることもできるので、登るのに支障はありません。しかし主に左足指の3本が第1関節から先の感覚が針で突いても全く無いのです。あまり気になりませんでしたが、これは隊長に報告しておく必要があると思って朝食時に皆の前で報告しました。
 隊長も、そんな症状は聞いた事が無いとおっしゃいますが、血流が悪くなって起きた現象だろうからとビタミンEの「ニチEネート(カプセル)」を支給して頂きました。今回、ビタミンEとしては総合ビタミンとセサミンEを飲んでいましたが、体質改善には量が足りなかったのかも知れません。これから毎日飲む事にしました。
 それに、今まであまり手当てをしていなかった口内炎がかなりきつくなって来ました。平地での口内炎は、疲労が蓄積した時に大抵は頬の内側や舌に出るのですが、メラ・ピークの時も、アコンカグアの時も下唇の内側の粘膜の所に、ひび割れ状態の炎症で化膿します。しかし、頬の内側や舌にはできないのですが、痛くて熱い飲み物には唇が付けられないので飲食にも影響します。
 この事はアコンカグア以来気になっていて、たまたま、NHKの「試してガッテン」を見た時、しつこい口内炎は塗り薬だけでは治らず、口内の細菌を消毒しなければならない事が判っていました。それで、今回はイソジンうがい薬を持参していましたが面倒なので放って置く事が多く、次第にひどくなってきました。ついに観念して、今日から食後必ずイソジンでうがいをして、その後に口内炎用軟膏を塗ることにします。
 昨日BC入りしたKK隊は今日、我々の直ぐ上でプジャを行っていました。早速H隊長に挨拶にでかけました。これでKK隊とは全員面識ができました。
 今日は休養日で天気が良いので、シュラフやマットを干します、が、相変わらず午後は雲行きが怪しくなります。しかし今日は何とか天気が持ちました。


▲【ボンベにレギュレータのセット】

▲【マスクの装着】

【4月28日】 BC

 今朝も快晴ですが午後から曇りでガスります。しかし夜中は晴れました。
 午前中は隊長によって酸素ボンベの講習会が開かれました。私は登頂が最優先で無酸素登頂へのこだわりはありません。調子が良ければ無酸素も考えようか程度しか思っていませんので、この講習会は重要です。ボンベ(シリンダー)はロシアのポイスク社製のものでした。
 最初の注意点は、流量調整のレギュレータをボンベに接続する場合、ネジの切り込みが日本で通常の右まわしの方法とは逆に、締める方向が左回しになる点です。
 2つ目は、レギュレータをボンベに接続する時に、流量ゼロに設定しておくとボンベの内圧がいきなりレギュレータにかかってシール材に衝撃が加わりレギュレータが故障するので、ボンベに接続する場合は、流量を大きく開放しておくことです。
 3つ目は、レギュレータを接続した後、開放したレギュレータから酸素が漏れるので、素早く流量を0にしなければ酸素がロスします。しかし、ボンベにレギュレータを逆回転にねじ込みながら、レギュレータ流量を同時に0にする操作は至難の業です。実際にやってみるとそんなにうまくいきません。
 次にマスクの着用をやってみました。今回のマスクは首の後ろで固定用テープで締めるだけでなく、後頭部から頭の上を通っておでこに回したテープをマスクの上側と接続して固定するタイプのものです。
 首の後ろに回すだけのタイプもあるそうですが、サングラスやゴーグルと干渉しない点が良いけれど、ずれやすいとの事です。実際にサングラスやゴーグル着けながら着用すると、互いが干渉してサングラスやゴーグルが押さえつけられたり、マスクが浮いたりします。逆に固定テープの上からサングラスやゴーグルをすると、今度はサングラスやゴーグルが浮いてしまいます。事前に訓練させて頂いて少しなれましたが、風・雪・レンズのくもり・寒さ・視力の程度などによって、実際どう使うかなかなか難しいものです。
 新品のボンベは重量は約4kgで、4リットル容器に300気圧の酸素が詰められていて合計1200リットルの酸素が充填されています。新品のボンベで1分間に2リットルの吸うとすると600分で使い切る計算になるので10時間持つことになります。アタック日の行動時間は10時間以内はきつそうなので例え1分間に少な目の2リットルを吸うとしても、予備ボンベを持つ必要があるという事が判ります。
 例えばレギュレータの残気圧が90気圧を示している時に1分間に3リットルを吸うと、酸素は後何分持つのかといった計算をアタック時には暗算でしなければなりません。4リットル×90気圧÷3リットル/分=120分。つまり、あと2時間持つという計算になります。標高6000mまでならミウラBCの体験で暗算には自信はありますが、8000mの高所で、いくら酸素を吸いながらであってもこの暗算ができるのだろうかと自信はありません。それに、自分で背負っているボンベのレギュレータはザックを降ろして確認しない限り読めません。相棒に読んでもらうのが手っ取り早いのですが、どんな状況になるのか見当がつきません。でもあんまり気にしません。お気楽トンボです。
 今日の昼には「ざるそば」が出てきました。パダムさん作のおつゆも上手でしたし、そば大好物人間の私には最高のご馳走です。しかし、夕食に出たハンバーグステーキはヤクの肉で作られていますので、筋が硬くて飲み込めません。いつまでもガムのように噛み続けました。
 夕食時にチェットさんからシェルパ1人を含む韓国隊が3人アタックして成功した事と、C3に向かっていたイタリア隊が身動きとれなくなり、他隊の酸素ボンベを使ったけれど、隊員1名がC3付近で高山病で亡くなったとの情報がもたらされました。


▲【テントの底が浮き上がったテント跡の雪】

【4月29日】 BC

 今朝も快晴ですが昨日と同じ様な天気のパターンです。この3〜4日は暖かい日が続いています。辺りは、雪解けで白一色から、地肌の黒さが目立ってきました。雪の中に埋もれていた水の流れが少し見え始めてきました。
一晩中、すぐ上のMさんのテントから咳が聞こえて来て辛そうでした。喉の調子が悪そうです。ブログさんもそうでしたが、高所に上がってから症状を治すのは難しいようです。それでも、KK隊は高所順応のため、Mさんを含め、今日初めてC1に向かって出発して行きましたました。
 テントの周りの雪も溶けてきていますが、テントの底の雪は残るのでテントが浮いたようになってきます。それに、同じ所で寝ていますと、まるでハンモック状態に底が沈んで行き、テントの底がデコボコです。隊長は特権を行使して、シェルパに隊長用テントを平らな場所を作って移設する事を命じます。シェルパ達は頑張ります。
 昨日は今年のマナスルで初めてのイタリア隊から犠牲者が出ました。また、何隊かはアタックしたけれど登頂できず、更に、イラン隊2人の内の1人が同じ日の午後4時頃に登頂した後、昨夜から行方不明との情報が入ります。ひょっとして、我々のテントに珍入してビデオを撮ったイラン人2人の内の1人だろうかと思いました。


【4月30日】 BC → C1

 今日も朝から天気が良い。今日からC4まで行って1泊する最後の高所順応の出発日です。今回でC1まで4回目になりますので、かって知ったる道と気楽です。
 8時過ぎに出発しますが、あちこち岩が露出してきています。ダワロープ上部のフィックスロープ用スノーバーがかなり露出して、スノーバーのセットのやり直しをしてから再出発します。

▲【イタリア人遺体の搬送。背景はクタン・ヒマール】

 暫くしますと、横に広がった集団が降りて来ます。近付いてみると一昨日C3付近で亡くなったイタリア人の遺体搬送だったのです。青いブルーシートにくるまれて、シェルパ5人で降ろしていました。C1からC2の間の急峻なクレバス帯をよく降ろしてきたなと感心しました。まだ高度が低いのと、雪と天候の良い状態が続いているから出来るのかも知れません。心の中で黙祷し、気を引き締めます。
 黒岩が見え始めると、単独のイラン人が降りてきました。行方不明の相棒は見つかったのかと聞きますが、見つからず一人で降りてきたと言います。そこから暫く登ると、何ともう一人のイラン人に出くわしました。我々のテントに珍入してビデオを撮り続けたひょうきんなあのイラン人です。生きていたのです。驚きました。直ぐ前に下っていった相棒と連絡が取れなかったのか、連絡を取らなかったのかは判りません。仲間同士でいさかいがあったのかも知れません。彼は登頂したと言いましたが、誰にも確認されていないようです。
 13時半前にC1に到着します。今日のテント割りは小さい方のテントでブログさんと一緒になりました。隊長、古老さん、三つ指さんがジャンボテントです。たっぷりお茶を飲んでから、今日の夕食は2回目の手巻き寿司です。野菜はありませんので主要な具はシーチキンでチューブわさびやチューブ梅を付けます。寿司は食べやすくやはり高所食としては贅沢だなと思います。


マナスル登頂報告 その4へ マナスル登頂報告 その6へ

メラピークKOBE(兵庫県労山に所属する神戸の山岳会)


Copyright(c) MERAPEAK-KOBE All Rights Reserved.