マナスル登頂報告 その6 BCから登頂まで(3)



▲【C1出発直後の登り、C1テントは中央左】


▲【C2で夕食作り】

【5月1日】 C1 → C2

 朝はいつものように快晴です。8時前に出発します。トレースは風で埋まっていますが痕跡ははっきりしています。登り出して直ぐのトラバース帯のセラックの崩壊による雪崩跡は新たな積雪で覆われています。トラバース帯から直登に入ると、固定ロープは所々埋まっていますが、ユマール操作も慣れてスムースに登れます。しかし斜度の緩い所に比べて高度を稼ぐスピードは速くなりますので、今まで通り呼吸が荒く、相変わらずゼイゼイと苦しみます。
 ゆっくり登って13時前にC2到着しました。今日は昼からガスり始めます。今回はブログさんと4人のシェルパが同行していますのでテントを1張り張り増してして合計3張りにしました。今日のテント割りはメンバーを交代して、ブログさんと一緒に隊長テントに泊まります。C2到着後時間があるのと、行動食だけではもうひとつ腹持ちがしませんので、たぬきそばを作って食べました。 高所順応からアタックまで長期にわたる行動を見据えて、行動人数やテントの配備をどうするか、つまり何日にどこまでテントや装備を上げておいて、何人が入れるか考えて計画を実施するのです。今までC3までテントを配備できていますが、できるだけ装備の移動はさせたくありません。C2まで不要なアイゼンは帰りのこのC2にデポし、ピッケルはC3にデポします。
 この具体的な計画を構築できて頭に入っているのは隊長だけです。現在の所、隊員人数が少ないので5人一斉にアタック態勢に入る予定ですが、隊員の体調や天候によって臨機応変に計画を変更して対処して行かなければなりません。隊長だけが頼りです。 口内炎用のイソジンうがい薬は使用する余裕が無いだけでなく、捨てる水の消費が多くなりますので、持っ来ていません。夕食はカレーライスを作って食べますが、昼に食べ過ぎたたぬきそばの影響で食欲は進みませんでした。



▲【テントスペースを作るシェルパ】
【5月2日】 C2 → C3

昨夜は夜中に雷が遠くから近くにまで鳴り響きました。しかし、朝になると今日も晴れです。今日はC3まで短いので、7時半過ぎに出発します。今回は、C3に向けて寒さ対策に足の甲に上から貼るホッカイロを貼り、手には羽毛ミトンを着けます。それに支給して頂いた「ニチEネート」のおかげか、風が余り無かったからか、手足の指は冷たくなりませんでした。11時半にC3に着きました。
 ブログさんは本来C3タッチで引き返す筈ですが食欲を除いて調子が良さそうなので一緒にC3泊になりました。テントを1張り張り増してして合計3張りにしました。
 ティータイムには、しっかりお茶を飲みます。紅茶・ホットミルク・ミルクティーなど余り変わり映えしないメニューで砂糖をたっぷり入れて飲みます。夕食はビーフシチューを作ります。5人で5人前を作ると食欲が低下して来ていますので、多いだろうとアルファ米やルーをやや少なめに作ります。しかし、それでも、多いので最後に誰がさらえるかが問題になり、調子良さそうな人に押し付け たりします。押し付けられる事が多いのが私と三つ指さんです。


▲【埋まったフィックスロープを捜すシェルパ】


▲【埋まったテントが増えている】

【5月3日】 C3 → BC

 夜半にひどい雷が轟きます。一時は至近で空中放電が起きたのではないかと思える程、テントの中で目をつぶっていてもフラッシュのような閃光が感じられ、パーンという周波数の高い大音響が轟きます。それに朝方まで風が強くて、今日はC4まで行ける状態になるだろうかと気をもんで寝られません。夜明け前から雪が降り始めますが、風は次第に弱まります。
 体調は絶好調です。高所に寝ている気分は無く呼吸も楽です。この調子ならひょっとして、C4タッチまで無酸素はもとより、無酸素登頂にチャレンジできるかなという気分です。予定通り4時半に朝食は終えましたが、5時半出発予定が6時にBCとの交信で天気情報を待つこととなって、5時過ぎに自分のテントに戻って待機します。6時のBCからの情報ではここ2〜3日荒天が続くだろうとの事です。最終キャンプ迄の行動は断念して、6時半頃に早々に撤退し始めます。夜中のような強風でなくて助かります。
 先頭を行くプルプは感が良いのかホワイトアウトの中をどんどん下ります。竹ざおの赤旗印は近付かないと見えませんが、次々きちっと現れます。その内プルプがあちこちを捜し始めます。今まで我々には見えなかった竹ざおの赤旗印は視力の良いシェルパには発見できたのでしょう。しかし、行き詰ったようです。
 皆が私のGPSを見てくれと叫びますので、取り出して軌跡をチェックします。GPSを使った事の無い人は、軌跡があるなら直ぐに辿れると思っているようです。確かにきちっと操作できれば辿れるのですが、普段使っていない「軌跡ナビ」はトレーニングできていませんので自信がありません。そこで普段北を上に表示する設定にしていたものを磁石と照合するのは面倒なので、進行方向を上にする設定に変えて、表示の縮尺を色々変えると左に曲がるべき所を行き過ごしていた事が判明しました。この操作だけでも降 雪中で大変でしたが、強風でなかったの で助かりました。皆に方向を変えるよう伝えます。少し下ると赤目印が現れてホッとしました。それ以降は、さすがシェルパさんで時々ジーっと眼を凝らしてルートを見つけて案内してくれました。
 C2には8時頃に着いて、アイゼンをデポしますが風雪の中、テントに放り込むだけで精一杯です。C1へのフィックスロープも雪に埋まっていますが、埋まって直ぐで凍っていないので掘り出す事ができます。シェルパ達は、丁寧にフィックスロープを掘り出してくれます。慣れて来たのでゴボウで下ります。数百メートル下山したら視界は少しはよくなってきました。
 C1には11時半頃着きますが、埋まっているテントは益々多くなっています。ナイケコルから先になると雪崩の危険はありますが気分は緩みます。気温も上がってきて、早くBCに到着したいという気持ちは強く、足早に下っていますと、汗かきの私はジャケットのフードを被ったままサングラスを着けた額から汗が流れてきます。その内汗が目に入るようになって目にしみるので、止まってタオルを出して拭けば良いのに、面倒なのと早くBCに着きたいと焦って、歩きながらサングラスを外して、汗が目に入るたびにグローブを着けたまま何度も目をこすりました。これが大失敗だったのです。14時過ぎに何とかBCに到着しました。一日中降雪中での行動は結構疲れました。
 夕食時、それ程気になる程ではないのですがこすった目が少し痛みます。それにピントが少しボケています。


【5月4日】 BC

 朝目覚めると、目がおかしいので驚きました。痛いのと、ぼやけがひどくなっていました。ぼやけたのは、目をこすって角膜に傷をつけたからかなと思いました。サングラスも少し外していた事もあって、雪目の症状も併せて出ているのかなとも思います。サングラスを外したのは合計1時間も外していなかったので、角膜に傷をつけたのが大きな原因かなと自己分析しました。しかし、この状態ではアタックはできません。気持ちは焦ります。状況報告はしっかり隊長にしなければなりませんので、隊長のテントに出向き報告しました。一応、市販の目薬を支給して頂き、角膜に傷をつけた隊長自身の経験を教えて頂き、普通なら1週間以内に自然治癒するだろうと。自分もそう思っていましたが、いざ、ぼやけて見えますと動揺します。
 隊長のアドバイスは続きます。BCにはスペイン隊には医者が居るので見てもらっても良いけれど、医者は安全サイドに判断するので、即刻下山を言われる可能性が高いそうです。その場合はヘリを呼ぶ事になるので、費用も40万円程かかります。しかしヘリでカトマンズに行って、治療して再びBCに戻るには時間的に厳しい事になり、アタックに参加する事はまず不可能になります。
 食事時でも、皆さんの顔がぼやけています。ヘリを呼ぶかと脅されますが、結局、どうするかは私の判断なので、明日まで様子を見ると宣言しました。
 朝は晴れましたので予報は違ったのかと思いましたが、直ぐ予報どおり雪になりました。


【5月5日】 BC

 朝起きると、視力が少し回復しているのが判りました。痛みも引いて来ました。朝食で皆さんの前で隊長に、自然治癒を待ちますと宣言しました。マネージャのチェットさん情報では明日まで天気は良くないが、明後日からは回復に向かいが、9日だけ天気が良いそうです。スペイン隊や野口健隊はこの9日に向けて明日からC1に入るそうです。
 一日中もっぱら目の養生に努めます。夕方から風が強くなり食堂テントが強風で吹き飛ばされそうで、短時間にドカ雪が降りました。明日から隊長と三つ指さんが無酸素登頂を目指してC4タッチに出発する事になりました。目の問題さえなければ一緒に行けた筈なのが悔しいけれど、目の状態が復活していなので仕方ありません。これで、無酸素登頂の可能性は消えました。


【5月6日】 BC

 朝は天気が良く、無酸素狙いの隊長と三つ指さんはC4タッチのため9時頃に出発し、14時過ぎにC1に到着したそうです。天気は良くないようです。私は目の問題があるので参加できません。目の状態は日に日に良くなって来ていますので、精神的に楽になってきました。
 午後から毎度の雪が降ってきました。夜中は今日も深々と雪が降ります。


【5月7日】 BC

 本日から天気が回復する予報です。目も殆ど良くなって暇なので付近を散歩しました。テントが随分増えています。15時頃まで晴れましたが、その後は雲に被われました。隊長と三つ指さんはC1を6時半頃に出発してC2通過してC3に15時頃到着したとの無線が入りました。  

▲【BCの全容(我々のテントは中央左尾根の左側の麓)】

【5月8日】 BC

▲【夕方の一気の雪による積雪】

 今日は半日以上晴れでした。今日はサマ村の方の氷河湖が見える所まで散歩にでかけました。 そこまでの稜線や氷河湖周辺、更に見えるサマ村もすっかり雪融けが進んで地肌が見えていました。少し標高が下がると、風景も一変するのだなと感じました。BCでは16時頃から急に雪に変わりました。しかし2時間もすれば天気は回復して夜空は晴れ、スペイン隊のドームテントの半円球の造形が闇の中で美しく浮かび上がっていました。
 C3では風が強く隊長と三つ指さんはC4タッチの行動できずに停滞になりました。明日の予報では午前中は晴れても山頂付近は風が強いとの情報です。どうなるのかなと気がかりです。
 夕食での話題は、古老さんが持参した短波ラジオで運良くNHK国際放送がキャッチできて、新型インフルエンザについて、世界で既に何人かが死亡したとのニュースが流れていたそうです。しかし日本の状況はよく判りません。私は年初に家族用にウィルス防御対応マスクを多量に購入して、新型インフルエンザ対応の準備をして来たなど談笑をしました。


【5月9日】 BC

 今朝も晴れで、不思議にも今日は大ピナクル付近には雪煙はあがっていないのに、ノースピークとC3(ノースコル付近)は雪煙が上がっています。複数の登山隊が本日のアタックを狙っていたようですが、全てのアタック隊が登頂できなかったようです。隊長と三つ指さんはC4へは撤退を決定して6時半に下山開始し、BCには11時に到着しました。驚異的なスピードです。
 今日も天候は安定せず10時過ぎから断続的に小雪がチラつきます。


【5月10日】 BC

 今朝は10時頃まで晴れで、大ピナクルからC3まで雪煙が上がっています。 朝、宮城の単独さんが暇なので本の交換に来ました。私はトラチャンハウスの文庫から借りた谷甲州著「遙かなり神々の座」を持って来ていましたが、読み終えてブログさんに渡していましたので渡せるものは何も無く、他の人に声をかけました。私はカシオの電子辞書(EX-word XD-SP6600)に入れてある40冊ほどの青空文庫の中で、寺田虎彦や○○捕物帳などの気楽な本を読んでいました。
 暇なので、テントの中でいつものように携帯(Windows携帯:ソフトバンクX05HT)に日記を書いていたら、バッテリーが切れたのでバッテリー交換をして再起動すると、「USIMカードが未挿入か、無効なUSIMカードが挿入されています」と出て、立ち上げる事ができなくなってしまいました。端子の接触不良だろうとUSIMカードを何度か挿入し直したり端子を磨いたりしましたが、症状は変わらず、これ以降携帯電話としての機能も使えなくなりました。ガーン。ショックです。デジカメの予備として、日記や記録・情報の書き込みなどを行って来ましたので日本に帰って何とか復旧させるまで使えないなと観念しました。
 15時頃KK隊が天候が悪いという事でC3タッチ出来ずBCに下りてきました。チェットさん情報では、最後に入山したタムセルクのフランス隊がC2付近から下りずに頑張っているそうです。スペイン隊の女性隊員がC3から下山する際、吹雪の中ゴーグルを着用せず雪目?のためスペイン隊の医者が指示したように、急遽ヘリコプターでカトマンズに下山し病院に向かったそうです。私も医者に診て貰っていたら下山させられていたかと思うと、隊長のアドバイスを有り難く思います。


【5月11日】 BC

 朝5:40の外気温は−4℃、テント内が2℃です。一晩中雪で、新雪30〜40cmです。どうなってるんだろう、もうモンスーンに入ったのだろうかと思います。朝も降雪が続いており、24時間以上降り続いています。しかも朝はガスっています。予報では明日まで雪が続くそうです。
 KK隊では、Mさんが咳が止まず肋骨にヒビが入ったそうです。色々葛藤があったようですが、今朝KK隊全員が静養にサマに降りて行きました。私の両足指の先端は未だ感覚が殆どありません。痛みは自分が指を動かした時や外力が加わった時だけに変化してきました。
 今日は20時を過ぎても雪が降り続いていました。


【5月12日】 BC

 朝5:30の外気温は−2℃、テント内が1℃です。一晩中の降雪で、新雪が20〜30cm積りました。朝は小雪でホワイトアウトです。その後も降ったり止んだりでホワイトアウトも一日中続きました。積雪も相当になってきています。
 C4タッチもできずBC入りから30日過ぎてしまいました。何も出来ない辛い日々です。一応計画では残り10日間の予備日がありますが、早く好天になって欲しいものです。かなりうんざりして来てはいますが、もし、予備の10日を食いつぶしても、モンスーンに入っていない限り、日程を延長してでもアタックチャンスを待ちたいと思っています。しかし、モンスーンに入っているのだろうかと皆で話すほど天候不順が続いています。
 口内炎はイソジンうがい薬を使用して食後にうがいを続けた結果、ほぼ治りました。


▲【埋もれてきたテント】

【5月13日】 BC

 朝6:00の外気温は−10℃で、テント内は−5℃です。昨夜の夜半にやっと雪が止みました。新雪は20〜30cmです。6:15にはテントに日が射して来ました。朝から晴れですが、期待していた天気も昼前に再び降雪が始まり、ホワイトアウト状態に逆戻りです。しかし15時頃には止みました。
 数時間でも陽が射すのはありがたい事です。シェラフやマットを乾かす事ができます。それに今日は降り積もったテントの周囲を除雪します。フライシートのエプロンは雪に埋まってカチカチに凍って、ピッケルでもない限り掘り出せません。ピッケルはC3に上げしてあります。スコップは隊で1つしかありませんので、あちこちで使用されたり、他隊から借りに来られたりで引っ張りたこです。
 テントの状態はかなりひどくなってきました。テントの底は余り沈まないけれど、ポールがどんどん沈んでいきますのでテントの張りはパンパンになってきています。それに、テントの底はシュラフ・マットのひいてある所のお尻を中心にハンモック状態に沈んでいます。手などで叩いて平坦に出来る状況ではありませんので、我慢するしかありません。
 16時頃スペイン隊の隊長のロロ(Lolo:Manuel Gonzalez)さんとリーダーのガリド(Inma Garrido)さんがスペイン隊の気象情報と行動予定を持って来てくれました。
 その情報では明後日の15日頃から晴れが1週間続くそうです。15日までは未だ風が強いけれど、18〜20日頃は風速20km/h(5.5m/秒)に弱まるという事だそうです。明日、スイスからの最新情報を手に入れる予定だそうです。スペイン隊は2隊に分けて15日 に1次隊16日に2次隊が出発するそうです。
 タムセルクのフランス隊は未だ降りてきていないそうで、ロシア隊は時間切れになるので明日出発するらしいとの事です。
 日本出発以来剃らずに放っていたひげが食事時に邪魔になり始めたので、唇の上だけ剃りました。米などの食料も尽き始めて来ているので、シェルパ達がサマ村に調達に下山してきました。夜は久し振りに星が見えました。

▲【スペイン隊のロロさん(右)とガリドさん(左)】         ▲【スペイン隊の行動計画メモ】      


【5月14日】 BC

 朝5:20の外気温−7℃で、テント内は−4.5℃です。朝から快晴で、14時頃からガスり始め、15時頃からアラレになり、17時頃に止みました。C1に行ったスペイン隊のシェルパの情報ではC1のテントは全没で多分使えないとのことです。我々は代替の2張りを準備します。
 アタック体制について本日、隊長から発表がありました。最初のもくろみの5人全員でC4まで登って同日にアタックすることはもはや困難になってきました。積雪でテントが潰されたため、少ないテントでアタックするために隊を分ける必要が出てきたのです。個人装備であるシュラフでさえ、余分な移動させないため、テント備え付けに設定されました。私が持参したシュラフはダウンジャケット上下を着てシュラフに潜り込むという作戦で軽量のシュラフにしましたが、共同装備になるとは思っていませんでした。

▲【シェルパテント底の平坦化作業】
 第1次アタック隊は15日にBCを出発し19日にC4からアタックする予定で、メンバーは隊長、古老さん、ブログさんの3名に加え、シェルパ3名(ギャルゼン、カミ、プルプ)にハイポーター1名(ビーバース)の合計6名の陣容です。
 第2次アタック隊は16日にBCを出発し20日にC4からアタック予定です。メンバーは三つ指さん、私の2名にシェルパ2名(カミ・シンゲ、ダワ・テンジン)の合計4名の陣容です。明日C1のテント堀に2次隊のシェルパも出動し、カミ・シンゲとダワはBCに帰ってきます。
 天候の確率は1次隊の方が良いのはほぼ確実です。悔しい気持ちもありました。しかし、隊長もメンバー選定に、隊員の経験・実力・体調・体力・順応具合・組合せなど散々苦悩しながらの結論だろうと思いますので仕方ありません。後は運を天に任せるしかありません。
 今日は天気も良いので隊長のテントの移設から始まり、調理テントがかなりいびつになって来ているので同位置建替え、それにシェルパテント底の平坦にする作業が行われました。
 16時頃KK隊全員がサマ村からBCに帰って来ました。副隊長のIさんからの情報ではサマ村で調べたネットの天気予報ではチベット・ラサ方面を調べた結果18日から好天が続くそうです。


▲【第1次隊出発の朝】

【5月15日】 BC

 朝4:40の外気温は−12℃で、テント内は−7℃でした。今朝も快晴です。1次隊の隊長・古老さん・ブログさん、ギャルゼンは朝8時前に出発します。その前にテント堀隊のカミ、ビーバース、プルプ、カミ・シンゲ、ダワの5人は先発しました。この内カミ・シンゲとダワは明日の2次隊のためにC1のテント堀が終わるとBCに帰ってくるのです。
 朝食時に、KKのH隊長が食堂テントに来所されました。私にも情報があるという事で、メラピークKOBEのチャゲさんからメールが入っていて、家内が心配しているとの伝言がありました。
 出発前に途中は連絡できないけれど、ブログさんのブログで様子が判るだろうと言っておいたのですが、ブログが全く更新されない性か、家内がここまで追っかけてくるとは驚きました。無理するな、生きて帰れというサインに思えました。8000m峰は多少無理しなければ登頂できないと隊長から言われていますので、登頂するなという意味にも取れかねません。死んで帰るかも知れないと何度も言ってきましたし、どうする事もできませんので無視する事にしました。
 1次隊は15時頃にC1に到着したそうです。ブログさんはテントに入ると再び嘔吐したそうです。隊長から、このままハイキャンプに登高することは一人の問題ではなくて、隊全体の予定にも影響してくるのですぐ下山するように指示があったそうです。下山に随行したギャルゼンも2次隊と一緒に登って、C2で合流させれば体制を立て直せるという事でした。
 トランシーバによる情報でC1ではこの3日間で積雪1.5mは降ったようでテントの頭だけが雪の上に出ていて掘り起こされたそうです。その後カミと、ビーバース君はC2に向かいC2のテントも掘り起こしたそうですが、C2はC1よりもっと雪が深かったそうです。C1・C2のジャンボテントは全滅だそうです。
 ブログさんは18時頃にギャルゼンに伴われてBCに帰着しました。かなりきつそうで、気の毒に夕食も食べられませんでした。私が目が悪くなった時の焦りからして、その落胆の大きさが痛切に慮れます。


【5月16日】 BC → C1

 朝5:10の外気温は−6℃で、テント内−3℃でした。夜中に少し積雪があり、明け方の5時頃はC1〜C2方面に薄い雲がかかっており、どうなるかなと気がかりだったですが、6時過ぎにはかかっていた雲が消えました。しかし、大ピナクルやノースコル方面には雪煙が上がっています。アタック時の天候が何とか持って欲しいと願いながらの出発です。でも、何とかなるだろうと楽観的です。
 我々2次隊はBCを7時過ぎに出発しますが、トレースはしっかりしていて気楽に登れます。黒岩が見える頃には雪煙も無くなり、予報通り風が収まってきてくれているんだろうと嬉しい気持ちですが、10時半頃から再び明け方のような雲がC1〜C2方面にかかってきました。
 12時前に順調にC1に到着しましたが、C1より下は雲海になっています。BCは相変わらず天気が悪いのだろうかと思います。しかし、C1より上部は良い天気で、風も無さそうです。
 C1では聞いていた通り、掘り起こされたテントの頭が見えて、あちこち月のクレータのように凹んでいます。ここ1〜2日の間に張ったテントだけがパラパラ見えます。
 14時のトランシーバ交信での情報から、1次隊も順調にC2に到着したようです。    C1では周囲はガスが立ち込め、アラレが降り始めますが風が弱いので助かります。

  ▲【出発前の朝6時頃の雪煙】          ▲【クレータのように掘り起こされたテント群】


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メラピークKOBE(兵庫県労山に所属する神戸の山岳会)


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