マナスル登頂報告 その2 キャラバン(1) カトマンズ 〜 サマ村




5) マナスルへのキャラバン

 マナスル山郡は、東のブリ・ガンダキ河と、西のマルシャンディ河の二つの大河に挟まれた山郡で、ゴルカ・ヒマールとも呼ばれています。この山郡で唯一の8000メートル峰である盟主マナスル(8,163メートル)と、ピーク29(7,871メートル)、ヒマルチュリ(7,893メートル)の3坐は、マナスル三山と言われています。
 マナスルへのキャラバンは4月3日からブリ・ガンダキ(ガンダキは大きな河の事)の川筋に沿って最上流へと向かい、ラルキャ・ラ(5,135メートル:ラは峠の事)手前にあるサマ村で高所順応行動も含めて、10日かけて13日にBCに辿り着きました。この間、殆どの毎日が、朝晴れて午後曇り、夕方には雨が降るというパターンが多かったのです。足を延ばして距離を稼ごうとすると大雨に降られる事もあります。このキャラバンでテント泊が始まった4日以降、ロッジに泊まる時以外はコックのパダムさんによる料理が始まりました。ロッジの料理でもパダムさんが我々の口に合うよう指導していました。(登頂後の帰路は来た道を帰らず、ラルキャ・ラを越えてマルシャンディ河へと下るルートを取り、カトマンズへ戻る計画です。) 


▲【ポーターの雇用】

【3日】カトマンズ → アルガート(ロッジ泊)
 
 トラチャンハウスを7時過ぎにバスで出発します。途中でポーター25名を乗せたバスと合流しました。途中の道は車1台が通るのが精一杯という所が多く、舗装もされていないので車体が揺れまくって体を支えるのに必死です。ぬかるんだ上りを登り切れるのか心配な箇所も通過します。途中、車体のドアの下部が岩石に当り、ドアが開かなくなるトラブルに見舞われました。何とか応急手当をして運行が再開できました。

 13時半頃に、車で終点のアルガート(標高530m)に到着しました。カトマンズから連れてきたポーター以外に、ここで雇ったポーターを加えて総勢92名のキャラバン隊の陣容になりました。ポーターは男性と思い込んでいましたが、若い女性4人も含まれていました。時間があるので、町を散歩しました。バザールを通るとブリ・ガンダキの河に吊橋がかかっていました。明日これを渡って先に進むのです。


▲【ブリ・ガンダキの河に沿って】


▲【ラプ・ベシのキャンプスペース】

【4日】アルガート → アルケット → ソティ・コーラ → ラプ・ベシ(テント泊)

 昨夜は雷鳴がきつく雨も降りましたが、朝には止んでいました。7時過ぎにアルガートを出発します。今回のキャラバンはマナスル保護区を通過するので、町を出る前に検問所(ツーリスト・チェックポスト)でチェックを受けてから出発します。ブリ・ガンダキの大きな河に沿ってのどかな田園風景の中を、だらだらした坂をアップダウンを繰り返します。暑いので日傘代わりに雨傘を差します。荷物を背負ったロバの隊を追い越したり追い越されたりしながらゆっくり進みます。途中、バス2台にも出会いました。アルガートの吊橋以降で運行しているバスのようです。
 懐かしい牛によって鍬(すき)で耕す「水耕作業」も見かけました。小さな村を何箇所も通って、大きな町のアルケットに着き一休みしてバッティ(茶店)で紅茶を飲みます。昼食のソティ・コーラには約4時間で到着しました。今日はよく歩いて、更に約3時間半かけて宿泊地のラプ・ベシ(標高880m)に到着しました。
 ラプ・ベシにはキャンプスペースが3箇所程あります。疲れた我々は一番近いキャンプ地にテントを張りました。キャンプ地の横の小屋で夕食を目の前にして驚きました。チキンカツが出てきたのです。それにご飯と味噌汁、更に惣菜風の野菜までが付いています。
 隊長からアコンカグアでお誘い頂いた時に、商業登山隊に負けない程、食事に満足してもらえると思うとおっしゃっていたのが納得できました。
 サマ村から先のベースキャンプへの荷揚げはサマ村のポーターが行う事になっているため、昨日雇ったアルガートからのポーターは使えません。サマ村のポータの確保のためにマネージャのチェットさんは、明日からサマ村に向かって先行します。



▲【タト・パニの源泉】


▲【浴槽を掃除して入浴しようとしましたが・・】


【5日】ラプ・ベシ→マチャ・コーラ → コーラ・ベシ → タト・パニ(ロッジ泊)

 今日は温泉のあるタト・パニ(標高990m)で温泉に入るのが大きな楽しみです。朝ラプ・ベシを発ってから、ブリ・ガンダキの河を見下ろす高巻道に登ったり河原に降りたりのアップダウンを繰り返しながら2時間で小さな村のマチャ・コーラに着きます。夏道・冬道の分岐点も見られます。それは、雨季に入って川が増水して河原を通れなくなるからで、雨季はきつい高巻きを強いられるのです。
途中、ブリ・ガンダキの河を渡す「野猿(やえん)」(川の両岸にワイヤロープを渡し、ロープにゴンドラが吊り下げられて人力で渡る道。)も見かけました。
 野猿は今も実用の交通手段のようでした。更に1時間でコーラ・ベシ(ベシは下流の意味)に、そして更に2時間でタト・パニに到着しました。パニとは水の事で、タトは熱いという意味なので「熱い水」即ち熱湯の意味ですが、温泉の意味もあるようです。ネパール各地でタト・パニという名の地名があります。
 タト・パニではカトマンズを1日先に立ったスペイン隊が休んでいました。追いついてしまったのですが、私たちはここでゆっくり泊まろうという事になました。暫くしてスペイン隊は出発して行きました。

 日本の北アルプスなどで見られる露天岩風呂を想像していましたが、通行路の横にあるコンクリートでできた露天の浴槽は源泉からホースで湯を引き込むもので、到着した時は浴槽は空で枯葉などが一杯溜まっていました。浴槽に湯を一杯張るには翌朝までかかりそうでしたので入浴はできません。源泉から流れ出る湯で、頭を洗ったり体を拭いてさっぱりしました。
                      




【6日】タト・パニ → ヤル・コーラ → ジャガット → ガッテ・コーラ → フィリム(ロッジ泊)

 タト・パニを7時頃発ってドヴァン→ヤル・コーラ→ジャガットと進み、ジャガットではマナスル保護区のツーリスト・チェックポストでチェックを受けます。 ジャガットの河原で支給された昼食を取ります。ここで初めて遠くに水力発電所の水圧鉄管が目に入りました。今までの町や村で電線が見えましたが、こんな過疎地の村でも電気が点くようです。ガッテ・コーラを過ぎた13時半頃から急に雨が降ってきました。明日以降の行程を考えるとフィリム(標高1,590m)まで足を伸ばすのが好ましいので雨の中を進みます。14時半頃、やっとフィリムに到着できました。ロッジに着いても2時間半ほど激しく雨が降りました。ポーター達は雨の影響でなかなか到着できませんでした。近くの高峰には積雪が見られました。

▲【不安な吊橋】


▲【ロッジが1軒しかないダン】 



【7日】フィリム→ ダン(ロッジ泊)

 昨夜のフィリムでは村中の犬が鳴止まず、うるさくて眠れません。村人は平気なのか不思議でした。今日も午前中晴れですが、午後から昨日と同様に雲行きが怪しいので4時間先のダンの村を宿泊地と決めて進みます。途中、スペイン隊が出発準備をしているテント地の横を通過しました。
ブリ・ガンダキの河を右岸・左岸を何度も吊橋で渡ります。不安に感じる吊橋でも5〜6頭のロバが同時に渡ったりもします。ブリ・ガンダキの河沿いの道は松もあって、日本の道を思い出させる所や、「十字峡」を思わせるような峡谷も見られました。
 途中スペイン隊が追い越して行きました。女性でも足の早さは大したものです。11時半頃にロッジが1軒しかないダンに到着しました。石を積んだロッジはどこでも風がスースー通って寒さを防げませんが、このロッジの天井は石盤や木板で被われているのに隙間だらけで空も透けて見えます。部屋の窓もガラスは勿論雨を塞ぐ扉も無く、外の景色はまるで窓枠が額縁のように感じます。今まで泊まったロッジに比べても、少しひどい所です。

部屋を確保して暫くすると早くも雨が激しく降り出しました。雷もバリバリ鳴ります。我々の持参していたブルーシートを天井にかけてひどい雨漏りを防ぎました。
昼食を取っていたスペイン隊はその後、雨の中をガップ方面に向かって出発して行きました。その後に着いたイラン隊は部屋を求めて来ましたが、雨漏りする部屋しか残っていません。             


【8日】ダン → ガップ→ ナムルー(ロッジ泊)

今日も午後の天候が崩れるのを予測してダンを早めの6時半頃に出発します。
 ガップに向かう途中で右回りに回転する水車式のマニ車を今回のキャラバンで初めて見かけました。タルチョ(経文を印刷した五色の旗)も目に付き始め、村の入り口にはカンニ(仏塔門。仏塔の基部をくり抜いて門にしたもので、天井には、華麗な曼陀羅が描かれています。)やチョルテン(仏塔)それにメンダン(経文・曼陀羅の石塚:マニ石を長い壁状に連ねた塚。わきを通る時は、左手を通るのが作法です。)などがしっかり設置されています。チベット仏教の影響が次第に強くなって来ているのを感じ、チベット国境が近いのを実感しました。ガップに10時半に着き、昼食を取ります。長い道のりを歩いて最後は少し急な登りで、13時半頃にようやくナムルーに到着しました。

▲【マニ車】


▲【メンダン】

▲【カンニ】


▲【カンニの曼陀羅】



 ナムルーでは、この先のサマ方面から電気の供給を受けているらしく、後で着いた「タムセルク・トレック」のイラン隊がロッジの売店の部屋でコンセントから充電していました。
 夜もロッジ付近が電球でこうこうと照らされ、カトマンズでは1日16時間停電だった事や、今までのロッジでは電気が来ていない所が多かったのを思い出し、エネルギーの無駄遣いをするのが納得できませんでした。更に夜遅くまでスピーカーで大きな音で音楽を鳴らすので、なかなか寝付けませんでした。


【9日】ナムルー → ロー → シャラ → サマ(ロッジ泊)

▲【サマ村が見えて来ました】

 朝ナムルーを6時半頃に出発、リー、ショーなどの小さな村を通過しますが、タルチョ、チョルテン、カンニやメンダンが多く現れます。下の村のローに10時頃に到着しましたが、標高3000mを越えているのに畑の野菜の緑の色がしっかりしています。次の集落シャラに向かう途中から道の脇に残雪が現れ始めます。
シャラ(標高3,500m)には11時半過ぎに到着しました。この集落は人の気配が無く、無人の村のようです。シーズン前なので村人は下の村のローで生活しているそうです。ここで配給された昼食をとりました。昼食を食べ終わるころから小雪がちらついて来たので、急いでサマに向けて歩き始めます。
 途中で外国の(ドイツ)トレッキンググループ5〜6人とシェルパ・ポーター達と出会いました。彼等はアンナプル山域に向かうため峠のラルキャ・ラ(標高5,135m)を超えようとしましたが、ここ連日の積雪で越えられず引き返して来たそうです。この辺からマナスルが見え始める筈という所でも、雪模様のため全く見えません。
 サマに近付いて来るとアルガートからのポーター達と出会い始めます。彼等の荷の運搬はサマまでの契約で、早い人はサマで仕事を終えて報酬を受け取って引き返してきて来たのです。彼らは帰路は楽しそうです。気さくに挨拶してくれます。私達も感謝の気持ちを込めて挨拶します。      

▲【宿泊のロッジ】

 13時半頃ベースキャンプの山麓の村のサマ(標高3500m)に到着しましたが、この村では緑が全く見えません。
 このロッジから天気が良ければマナスルの主峰が見えるそうですが、今日も1日中雲や雪で全く見る事ができませんでした。
 宿泊したロッジの主人はチベット仏教の僧侶だそうです。
 到着後、次第に雪は本降りになって寒くなって来ましたので、皆、台所のコンロの火の回りに集まって離れませんでした。
 先行していたマネージャのチェットさんの話によると今日荷揚げしていたロシア隊は、大雪のためポーター達は引き返してきたという事です。
 この村も電気は来ていますので、コンセントから充電はできますが、昼間の半
日ほどは停電しています。




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メラピークKOBE(兵庫県労山に所属する神戸の山岳会)


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