マナスル登頂報告 その1 出発 〜 高所順応 〜 カトマンズでの準備




1) 2009年JWAFマナスル遠征隊の日程 (皆空を中心に記載)

3.19 成田(TG677便:17時15分発) → バンコック(22:15着←時差=日本−1:00)(ホテル泊)
3.20 バンコック(TG319便:10時35分発)→ カトマンズ(12:50着←時差=日本−3:15)(ホテル泊)
3.21 カトマンズ(ホテル泊)
3.22 カトマンズ[バス] → トリスリ[バス] → ドンチェ(ホテル泊)
3.23 ドンチェ → ガッテ・コーラ → デウラリ → ディムサ → シン・ゴンパ(ロッジ泊)
3.24 シン・ゴンパ → チョランパティ → ラウレビナ(ロッジ泊)
3.25 ラウレビナ → ゴサイン・クンド(ロッジ泊) 
3.26 ゴサイン・クンド → スルヤピーク → ゴサイン・クンド(ロッジ泊)
3.27 ゴサイン・クンド→ラウレビナ→チョランパティ→シン・ゴンパ→デウラリ(ロッジ泊)
3.28 デウラリ → ドンチェ[バス] → カトマンズ(ホテル泊)
3.29〜4.02 カトマンズ(ホテル泊)
4.03 カトマンズ → アルガート(ロッジ泊) 
4.04 アルガート→ アルケット→ ソティ・コーラ →ラプ・ベシ(テント泊)
4.05 ラプ・ベシ→ マチャ・コーラ → コーラ・ベシ → タト・パニ(ロッジ泊)
4.06 タト・パニ → ヤル・コーラ → ジャガット → ガッテ・コーラ → フィリム(ロッジ泊)
4.07 フィリム→ ダン(ロッジ泊)
4.08 ダン → ガップ→ ナムルー(ロッジ泊)
4.09 ナムルー → ロー → シャラ → サマ(ロッジ泊)
4.10〜4.12 サマ(ロッジ泊)
4.13 サマ → BC(テント泊:以下BC滞在中は略)
4.14〜4.17 BC
4.18 BC → ナイケ・コル → BC
4.19 BC
4.20 BC → C1
4.21 C1→ C2 → BC
4.22〜4.23 BC
4.24 BC → C1
4.25 C1 → C2
4.26 C2 → C3 → BC
4.27〜4.29 BC
4.30 BC → C1
5.01 C1 → C2
5.02 C2 → C3
5.03 C3 → BC
5.04〜5.15 BC(15日:1次隊出発)
5.16 BC → C1 (2次隊出発)
5.17 C1 → C2
5.18 C2 → C3
5.19 C3 → C4(1次隊:登頂)
5.20 C4 → マナスル登頂 → C4
5.21 C4 → BC
5.22 BC
5.23 BC → サマ(ロッジ泊)
5.24 サマ(ロッジ泊)
5.25 サマ → サムドゥ → ゲストハウス(テント泊)
5.26 ゲストハウス → 避難小屋 → ラルキャ・ラ → ビムタン(ロッジ泊)
5.27 ビムタン → スルキ→ → ティリチェ(ロッジ泊)
5.28 ティリチェ → ダラ・パニ → タル → チャムジェ → ジャガット(ロッジ泊)
5.29 ジャガット → シャンゲ[ジープ] →ブルブル →ベッシ・シャハール[バス] → カトマンズ
5.30〜6.03 カトマンズ
6.04 カトマンズ → バンコック(機中泊)
6.05 バンコック → 成田 
 


2) 隊員&メンバー

【 隊 員 】

隊長 雪豹さん (東京) 高所登山のエキスパート(今まで、6,000m以上の高所登山に61回挑戦し8,000m以下は殆ど登頂。8,000m峰には16回遠征で7峰登頂:エベレスト以外は無酸素登頂。8,000m峰日本人最高齢[61歳]無酸素登頂記録保持者)
隊員 古老さん (東京) アルプス・南米の各山の登頂、スパンティーク挑戦
隊員 皆空(筆者) (神戸) メラピーク・アコンカグア登頂
隊員 三つ指さん (長野) ビハリジョット初登頂、昨年マカルー挑戦
隊員 ブログさん (栃木) 海外登山初挑戦

(平均63歳の登山隊となりました。)


【 メンバー 】

サーダー カミ・シンゲ エベレストも登っている強力シェルパ(統率力・気配りが無い)
ハイポータ ギャルゼン 気配りが優しく、信心深いシェルパ(隊のシェルパで最高齢)
ダワ・テンジン エベレストも登っており、マナスルもC4まで経験がある
カミ・シェルパ 我々の隊で、ラッセルも、ものともしない最強のシェルパ
プルプ  いつも動いている、楽しい働き者。
マネジャー チェット カミ・シンゲに代わる実質的なサーダー。他隊との架け橋。
コック パダム 日本食が抜群に上手なコックで、食事では飽きさせない。
サブ・コック
(兼ハイポータ)
ビーバース 今回、ハイポータにデビューの22歳の若者


3) 8,000m峰目標の変更

 3月21日朝にカトマンズのホテル(トラチャン・ハウス)で、隊のミーティングを隊長から招集され、「チョー・オユー&シシャパンマ」の山域のチベットが、中国政府のチベット政策で当面チベットへの入国ビザ(入境許可証)が何時下りるのか不透明になっているので、このままカトマンズで待つか、ネパール国内の他の山に転進するかを話し合いました。
日本を出発する直前の3月中旬に「中国政府が、チベット自治区への外国人の立ち入りを来月末まで禁止」したことが判り、隊長から場合によっては目的の8,000m峰の変更もあり得ると連絡は頂いていました。
この情勢の原因は、2009年3月10日がダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなったチベット動乱から50年にあたり、外国人の入国管理が厳しくなっているためです。隊長の説明では、チベット登山の許可は、チベット登山協会で許可する訳ですが、チベット登山協会も中国の中央政府の意向を無視できません。
今回、我々のエージェントは「ボチボチ・トレック」という隊長も含む日本人が応援してできた新興の小さなツアー会社で、中国の中央政府が許可する状態になっても、チベット登山協会の公式メンバーである「エーシャン・トレック」と「タムセルク・トレック」の2社から順に認可手続きが進むでしょうから、「ボチボチ・トレック」に認可が降りるのは遅くなるだろう想定されるそうです。
また、ネパール登山での許可はネパール登山協会に出す訳ですが、申請単位で1パーティ15人が最も料金面で有利となり、現在「ボチボチ・トレック」から申請しようとしている3隊のグループに入れば、ちょうど15人になり料金面でメリットがあります。
この状況を踏まえて、隊長から、ネパール国内の8,000m峰に転進するなら「マナスル」が良いと提案がなされ、チョー・オユーに比べて難易度が確実にワンランク上になるそうですが、隊員全員での協議の結果、目標を「マナスル」に変更する事になりました。

4) プレ登山(高所順応)
 
 当初予定していたチョー・オユー(標高8,201m)のベースキャンプは標高が5,700mあるので、高所順応にはそれよりやや高いガネッシュ山群に位置するパルドール峰(標高5,928m)を予定していた訳です。しかし、マナスルのベースキャンプは標高4,900m程度ですのでパルドール峰に行く必要は無くなり、高度順応のために、カトマンズから最も近い高峰で、ランタン地域のゴサイン・クンド(聖地)の近くにあるスルヤピーク(標高5,145m)に向かう事になりました。


▲3月22日に出発して3月28日まで約1週間かけての高所順応の行程になります。

【22日】 カトマンズ[バス] → トリスリ[バス] →ドンチェ(ホテル泊)

 カトマンズのトラチャン・ハウスからチャーターした小型バス(25人乗り)で7時に出発し
ます。カトマンズから標高1850mの峠まで上がり、標高550mまで下ったトリスリの町で早い昼食を取ります。トリスリの町まで、道路は大半舗装はされていましたが、カーブが多いのに閉口します。
ドンチェに向かい始めて直ぐにマイクロバスのギアのミッションが壊れて登れなくなります。
騙し騙しトリスリの町に帰って何とか町工場に辿り着けました。道路脇の露天で修理して再出発し、標高2030mドンチェに午後3時に無事到着し、ホテル「ランタン・ビュー」に宿泊しました。地図の準備ができていなかったランタン地域の地図(トレッキングマップ)をこのホテルの売店で購入する事ができました。
トリスリ以降は舗装がなされていませんので、ガタガタ道を長時間乗り続けて疲れました。
町からはランタンU(標高6571m)と、その右のランタン・リルン(標高7225m)が見え始めました。


【23日】 ドンチェ → ガッテ・コーラ → デウラリ → シン・ゴンパ(ロッジ泊)


▲【シン・ゴンパの寺院】
 7時半頃にドンチェの町を出発します。いよいよ、今日から自分の足で登り始めます。渓流
魚を養殖しているガッテ・コーラ(コーラは沢の事)で休憩後、デウラリ(標高2,650m)で早い昼食を取ります。途中の咲き始めたネパールの国花「ラリグラス」(しゃくなげ)があちこちで見られました。

ランタン地域は国立公園で、ネパールの国立公園・保護区に入域するには、トレッキング許可証(Entry Permit・Entry Free Recept)が必要です。これをチェックする検問所(ツーリスト・チェックポスト)が途中であります。ここを通過して14時頃にシン・ゴンパ(標高3,200m:ゴンパはチベット仏教の僧院の事)に到着しました。
今年のネパールの冬は全く雨が降らなかったそうですが、気候が変わったらしくネパール到着後は午前中は晴れますが、午後には曇り始めて夕方までに雨が降るというパターンが多くなってきました。今日も朝は快晴でしたが午後から曇って、夕方までに小雨から、大雨、みぞれ、あられ、雪と不順な天候でした。          


▲【ランタンU、ランタン・リルン】


▲【クンド】


▲【ラウレビナヤク・パスで
  アタックルートの検討】





▲【ゴサイン・クンドからの下り】


▲【遠くのマナスル山群と
  ガネッシュ山群】

【24日】 シン・ゴンパ → チョランパティ → ラウレビナ(ロッジ泊)

 8時頃にシン・ゴンパを出発。途中、チョランパティ(標高3,580m)辺りから雪が現れ始め、振り返ると西方にガネッシュ山群が遠くに見え始めました。正午頃には早くもラウレビナ(標高3,900m)に到着しました。


【25日】 ラウレビナ → ゴサイン・クンド(ロッジ泊)

 8時前に出発し、薄っすらとした積雪が次第にしっかりした積雪に変わっていきます。高度の影響が出始めているのか、朝から熱が出始めた古老さんがペースダウンします。ブログさんも苦しそうです。隊長は私と三つ指さんは先に行っても良いとの事で、2パーティに分かれて登ります。ゴサイン・クンド(クンドは池・湖の意味)に近付くと池が見え始めます。11時前には早くも雪で覆われたゴサイン・クンド(4,380m)に到着しました。付近には大小の池が多く点在します。小屋ではストーブの周りに各国のトレッキングの人で人だかりになっています。一旦座ると、動こうとする人は居ません。両親を連れた親孝行なオランダの青年もいました。午後は今日も雪、あられ、強風でした。


【26日】 ゴサイン・クンド → スルヤピーク→ ゴサイン・クンド(ロッジ泊)

 今日はスルヤ・ピーク(標高5,145m)にアタックの日です。朝起きて、隣のベッドの古老さんにいつものように持参しているパルスオキシメータを貸してあげようとしたり、体温はどうですかと聞いたりしても、反応がおかしく感じます。変だなと思い、隊長に報告しますと、隊長も高度障害の疑いが強いので、即、同行してもらうプルプさんに助けてもらいながら高度を下げるよう指示されました。本人は自分の事態が理解できていないように感じます。足取りも怪しいのでプルプさんの付き添いは必須だと感じました。
 晴れている7時半頃に出発しましたが、登るに連れて風が強くなってきます。10時半頃にラウレビナヤク・パス(峠)に到着しました。アタックするルートが風雪で判りにくいのです。峠から見てどのルートを取っても手ごわそうだと隊長もおっしゃいます。(後で判ったのですが、もう少し先に行けばノーマルルートがあったそうです。)アタック開始の前に配られた行動食を皆で食べました。ブログさんは食べた物を全部吐いてしまいました。高度障害のようです。
アタックの先頭に立ったカミ・シンゲは猛スピードで登って行きます。三つ指さんと私は必死に着いて行きました。 
登り始める頃から雷が鳴り始めて、標高4,700m付近まで登った所で、これ以上登り続けると落雷の危険があ
るとの隊長の判断で引き返す事になりました。大雪の中で帰途につきましたが、ロッジに近付くと荒れた天候も少し回復してきました。     
 チェットさんがロッジの電話で下のロッジに連絡を取ってくれて、昼前に古老さんは無事チ
ョランパティに到着したと判明しました。今日もストーブの周りに張り付いて暖を取りながら、雑談していますと、みやげとしては、じゅうたん、パシミアのスカーフ、ネパール紅茶、チベットの岩塩などがよく使われると隊長から教わりました。


【27日】 ゴサイン・クンド → ラウレビナ → チョランパティ → シン・ゴンパ → デウラリ(ロッジ泊)

 7時半頃に下山開始します。今日は降雪後の気持ち良い下りで、空も澄み渡っていてラウレビナに近付くと、左のマナスル山群から右にガネッシュ山群が見渡せました。
 9時半頃にはチョランパティに到着します。ここで昨夜泊まった古老さんは、一足先に下って行った事が判りました。1時間ほど休んで11時頃にはシン・ゴンパに到着して、古老さんと合流できました。ここで、おとといの朝の古老さんの状態を本人に伝えると、記憶が殆ど残っていないようでした。この時以降、マナスルへの行動期間中、高齢・高度障害発症の古老さんは荷物をポーターに預けて担がなくても良いとされ、空身に近い状態での行動となり、羨ましい限りです。
 13時半頃には今日の宿泊地デウラリに到着しました。時間がたっぷりあるので、シェルパ達はトランプに興じていました。博打なのかなと思ったりもしました。


【28日】 デウラリ → ドンチェ[バス] → カトマンズ(ホテル泊)

 7時過ぎにデウラリを出発し、バンバン飛ばして9時半にはドンチェの町に帰着しました。
迎えのチャーターバスで10時に出発して、カトマンズに17時過ぎに着きました。帰りも長いバス乗車で疲れました。
 今回の高所順応で私は全く問題無く、順調でした。古老さんとブログさんが気がかりです。
トラチャンハウスには同じマナスルを目指す、大阪労山の「KK隊」副隊長のIさん(長野:佐久)が事前の準備で到着していましたので、一緒に夕食(ダルバート)を食べながら歓談しました。


5) カトマンズでの準備


 3月29日から4月2日までの5間は、マナスルへ向けての準備期間です。隊としては

・ ネパール・ルピーの準備
・ テントの再チェックで、トラチャンハウスの庭でテントを組み立てて、傷んでいる所を修理
・ 傷んでいるシュラフの修理
・ 共同装備用鍵の整理
・ 「ボチボチ・トレック」の事務所から日本へ現状と今後の予定の報告
・ その他装備の再点検
・ 現地残存食料と日本から持ち込んだ食料の整理とパッキング
・ 現地調達の食料・調味料・行動食の購入(日本食はカトマンズでは2店舗で購入できます)

▲【カトマンズのローソンでの日本食材】


 などが隊長の指導の元で、シェルパやコック達と一緒に行いました。「ボチボチ・トレック」では同じマナスル登山で、同じグループで「ボチボチ・トレック」から許可申請を出す、スペイン隊の隊長の通称「ロロ」さんと女性リーダ「ガリーダ」さんに出会い、これから先長い付き合いになりますので互いに挨拶をしました。

 次に、隊長は日本大使館に出向き「笹井一等書記官」に挨拶をされましたが、この時、日本の「野口健」さんも同様にマナスルを登るという事で出会われたそうです。
 準備の合間に、トラチャンハウスの近くにあるサンセット・ビュー・ホテルに全員で出かけ、本格的な日本蕎麦を食べる事ができました。
 みやげとして、隊長から聞いていたオリジナルじゅうたんを作るのに、隊員の4人でタメルの「じゅうたん屋」のラジェンドラの店に行きました。製作に時間がかかるという事なので、出発前に注文しておかなくては手に入らないという事です。登頂できるかどうか判らないので悩みながらも私は5枚注文しました。
 個人的には、準備できていなかったマナスルの地図(日本の国土地理院に当たり、縮尺が1/50,000)をトラチャンハウスの近くにあるネパールマップの店で購入しました。また、日本からの持込するには重いアルカリ電池を探し回ってベッドランプ予備・デジカメ・GPS・Windows携帯用に100本ほど購入しました。


▲【カトマンズ地図】

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メラピークKOBE(兵庫県労山に所属する神戸の山岳会)


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