マナスル(8,163m)登頂報告 (皆空)↓クリックでジャンプします。■マナスル登頂報告 ダイジェスト版 ■マナスル登頂報告 その1 出発 〜 高所順応 〜 カトマンズでの準備 ■マナスル登頂報告 その2 キャラバン(1) カトマンズ 〜 サマ村 ■マナスル登頂報告 その3 キャラバン(2) サマ村 〜 ベースキャンプ ■マナスル登頂報告 その4 BCから登頂まで(1) ■マナスル登頂報告 その5 BCから登頂まで(2) ■マナスル登頂報告 その6 BCから登頂まで(3) ■マナスル登頂報告 その7 BCから登頂まで(4) ■マナスル登頂報告 その8 BCから登頂まで(5) ■マナスル登頂報告 その9 カトマンズへのキャラバン(1) ■マナスル登頂報告 その10 カトマンズへのキャラバン(2) |
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マナスル登頂報告 その2 キャラバン(2) サマ村 〜 ベースキャンプ 5) マナスルへのキャラバン(続き) ▲【新雪のロッジ】 ▲【サマ・ゴンパ】 【10日】サマ(ロッジ泊) 昨夜の大雪で20cm程の積雪になりましたが朝は快晴です。BCへ荷揚げするにはここサマのコミュニティを通してポーターを手配しなければいけません。マネージャのチェットさんの話によると女子供を含めて140人ぐらいの登録ポータが居るそうです。ロシア隊(隊員20名)、スペイン隊(隊員5名)、「タムセルク・トレック」の国際隊(イラン3名、スペイン2名)、ほかに日本の野口健隊(隊員2名)、が既にサマ村入りしています。そして最後が我が隊(隊員5名)です。BCには既にポルトガル隊と韓国隊が入っているそうです。荷揚げは順番待ちになり、我が隊は13日の荷揚げ予定になりました。 今日は自由日なので、信心深いギャルゼンさんとサマのゴンパ方面に出かけました。ローのゴンパでは新しくて遠目にも目立っていましたが、ここのゴンパは歴史が古そうです。 新雪で雪を踏みしめながら歩くのは久し振りで、気持ち良くゴンパに着きました。僧院の中では、10人程の僧侶が読経しており、ギャルゼンさんはひざまずいてお祈りします。私も中に入って登山の安全を願い、賽銭をドネイションボックスに入れました。 次に、マナスル方面がよく見えるラルケ・パスとBCへの分岐点方面に向 かいました。マナスル方面は、雪煙が強く舞い上がっています。これでは、手前のピナクルは元より、マナスル本峰は見えません。 夕食はカレーライスで、おいしかったので皆お代わりをしました。 ▲【左のピナクルとその奥にマナスル、中央が北峰、右奥がナイケピークで、雪煙がすごい】 【11日】サマ(ロッジ泊) 今日も朝から快晴です。朝6時頃はマナスル本峰とピナクルが、手前の山で隠れているため上部だけですが、ロッジからくっきり見えました。マナスル本峰が一部だけでも見えたのは初めてです。 ▲【ロッジからのマナスル】 ▲【ズームアップしたマナスル(左)とピナクル(右)】 しかし、8時頃になるとナイケピークやピナクル方面は雪煙が舞い上がって、今日も上部は風が強そうです。 ▲【昔のBC】 ▲【氷河湖】 ▲【BCは右の尾根の向こう】 今日は順応を兼ねてBC方面に全員で出かけます。サマ村の道は雪が解けてドロドロです。BCへの分岐点から先はだらだらとした道を登ります。途中からの積雪もしっかりトレースがあり、次第に高度を稼ぎます。 途中で、マナスルに初登頂した日本隊がBCを設置した平らな場所に出ます。1956年5月日本の登山隊がマナスルに初登頂した時には日本中が沸き、登山に人気が集まったそうです。私もその報道は8歳の子供心にはっきり記憶しています。 当時のヒマラヤ高峰の登山はマナスルに初登頂した日本山岳会や有力大学山岳会が中心となり、準国家的プロジェクトとして、あるいはは大学を挙げて挑むといった様に、しっかりした組織で遠征隊を送り出していました。そのため、その後の私にとってヒマラヤ高峰の登山は遠い世界の出来事としか映りませんでした。しかし夢を持ち続けていた、その私が思いもよらずマナスルに登ろうとしているとは・・・・と感慨が湧き起こります。 暫くすると左後方に氷河湖が見えます。登る時に気付かなかったサイドモレーンやエンドモレーンの位置がはっきり見えます。 高度を稼ぐために、皆より先に進みます。沢の手前の石積み小屋跡のある所まで登りました。高度計で見ると標高4,200m程の地点です。BC方面を見ますと、そちらへのトレースが見えるだけでBCは尾根の向こうにあり、見えませんでした。 途中何度も、轟音が聞こえます。そちらに目を向けると、遠くで起きている雪崩でした。太陽が上がって気温が高くなって斜度のきつい所の新雪が、雪煙をあげながら落下しているのがよく見えました。 【12日】サマ(ロッジ泊) 今日も3日目の快晴です。昨日まで日中はマナスル本峰には雪煙が舞っていましたが、今日は雪煙は弱く、アタック日和なのでポルトガル隊と韓国隊はどうしているかなと思います。 今日は同じエージェント「ボチボチ・トレック」の仲間であるスペイン隊の荷揚げが始まっています。荷揚げの順番で我が隊はいよいよ明日です。日中はそこそこ暖かく、この先いつ頭を洗うことができるか判らないので、体を拭き、頭を洗いました。相部屋の古老さんは昨日から熱が出始めているようです。ゴサイン・クンドの時も同じように熱が出ていましたので、気がかりです。 【13日】サマ → BC(テント泊:以下BC滞在中は略) 今朝も晴れですが、雪煙は上がっています。風が収まるアタックのタイミングを見極めるのは難しいなと感じます。朝7時頃からポーター志願者が続々集まってきます。結局70名程のポーターが雇われました。 ▲【ポーター達への荷の分配】 8時過ぎから荷が決まったポーターが次々出発して行きます。我々も8時半頃に出発しました。今日のサマ村や、旧のBCは雪もすっかり融けて歩き易くなっています。途中見下ろす氷河湖方面も地肌で黒くなって来ています。 11時半頃、先日到達した地点の先で昼ご飯にします。辺りに可憐なサクラソウが生えていてのどかな気分での昼飯です。13時頃から上部にガスがかかり始め、ガスが次第に降りてきます。最後の尾根筋への登りは急登です。この頃から古老さんのペースが落ち始めましたので、2パーティに別れて先に登ります。 今回私は水を多く持っていました。それは、高度が高くなるにつれて煮沸殺菌効果が低くなるので低所での水を上げようと余計な事を考えてしまって、4リットル担いでいました。持ち過ぎていたため、ギャルゼンさんに着いて行くのが次第に苦しくなりました。 尾根筋に出た頃から、荷揚げを終えた早いポーター達に出会い始めます。この尾根筋の登りで次第に積雪が増えてきます。BCに近付くとガスの中に入り、小雪が舞い始めました。 13時半頃にBC(4,850m)に到着しました。先行したシェルパ(高所ポーター)達は、既にテントを設営してくれていました。BCの生活は長いので、いくら親しい人でも感情がぶつかる事があるのでゆっくり休めるようにと配慮され、個人用テントは4〜5人用1張りを広々と使って1人が独占できるよう5張りが張られました。その他は、キッチンテント1、食堂テント1、シェルパテント2、コックテント1も張られました。トイレテントもその後設置されました。 ベースキャンプでは登山隊が残したゴミのみならず、今年からサマ村が独自ルールを作って、各登山隊のトイレを下ろすことを始めたとのことで、ベースキャンプから下山撤収する際に糞便はドラム・樽に入れて降ろす事となったそうです。それを土がある所にまで下ろして埋めるそうです。昔からデナリでは厳格に実施されるというのをよく聞きましたが、エベレストでも既に実施されているそうです。
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