その2  最奥の村ムグ 〜 コジ・コーラのキャンプ  (報告=ココノール)

(「西ネパールの山旅」の報告は全4ページです)
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最奥の村ムグ


▲ムグの村

この川をさかのぼること3日で標高3500mのムグ村に着いた。ここは完全にチベット文化圏となり美しい川原にチョルテン(仏塔)が立ち並び、一面に花が咲いている。付近の畑地にはジャガイモが植えられチベット服をまとった女性が農作業をしている。笑顔で話しかけてくるのが好ましい。低地の住民はそのようなことはなく、高地のチベット人に親しみを感じる。まわりの山は5000m峰だが残雪があり、その化粧によって見栄えがする。テント場は村の下にある河川敷の草地である。  このムグで二泊して休養した。その休養日を境目にして天気が急に悪くなった。それまでは毎日晴天が続いたわけではなかったが、行動中に雨に降られることは少なかった。6月も中旬となりインド洋からモンスーンが押し寄せたのだろう。以後、この雨に連日悩まされることになるとは、このときには思わなかった。この地域は、本来、雨季にも雨が少ない地域なのだから。



▲ムグのチョルテン式門の仏画


ポーターを解雇

ムグは大きな村で斜面に民家が密集している。その昔、チベットからの移住者で作られた村である。冬は避寒と商売を兼ねて南の暖かい地域に行く人が多い。家は古くかたむいているのも少なくない。人口は減っているようだ。
ムグで3人のポーターを解雇した。かれらは高校生で、家計を支えるためにポーターを志願したという。仕事ぶりがまじめであったので、テントに呼び、「気をつけて帰りなさい」と賃金とともにチップを与えた。それに対してかれらは「僕らはこの地域に慣れているから大丈夫です。あなた方こそ、これから高いところに登りに行くので十分注意してください」と言った。翌日は、手を振りながら飛ぶように下山していった。



辺境では自分で判断しないと

▲ヤクが川を渡るカプタンチャール付近
6月15日、人が住む最奥の村を離れて国境に向かう。その日はダケカンバにかこまれたタンキャチャールにテントを張った。朽ちた木が至るところにあり、豪勢な焚き火をして湯を沸かし、チャパティを焼く。

▲ムグ上流部のバッティの女将
ビーバースが来て「BC予定の谷に行く橋がこわれているので修理しに行ってきます」という。BC予定のコジ・コーラに行く橋は破損しているようには見えなかったので、どの橋かと質すと、かれらは西よりの別の谷に入ると思っているようだ。われわれのスタッフは全員がこの地域に来るのが初めてである。ラバ使いのパサンだけがムグあたりまで来たことがある。そのかれもコジ・コーラには入ったことがないし、その谷がどこにあるかも知らない。当たり前だが西ネパールのような辺境ではガイドに依存せず自分で判断しないといけない。


西ネパールの登山隊が少ない理由

この地域は登山やトレッキングから取り残されたようになっている。 この原因について、西ネパールにおける先駆者の一人である吉永定雄氏は「西ネパール北部国境の知られざる山群」(山岳Vol94/1999)で次のように述べている。「第一には、西ネパールには高い山がないこと、第二に入山が非常に不便であり、したがって登山期間と費用が大幅に増加すること、第三に、許可の取得が、新しい山に関しては禁止区域や制限地域が多くて非常に厄介であったこと、があげられる」。
その後、状況は変化しているが、第一の山の高さは多くが6000m峰であって、7000mから8000mの高峰を目指す人には物足りないことに変わりはない。第二の交通手段については、道路建設や航空路の整備によって少しずつ便利になってきた。第三の許可取得条件も緩和され許可峰が増えた。以前に比べるとずいぶん入山しやすくなっている。しかし、まだ入山する隊は少なく、われわれは3ヶ月のあいだ、他の登山隊に会うことはなかった。


草代を請求されたが

▲ナムジャ・ラの国境標識

4400mにあるカプタンチャールに泊まった時に、ムグの村人と称する二人連れがやってきて「ラバが食べる草の代金を支払ってほしい」という。かれらがムグ村を代表しているのかわからないし、通行する家畜が食べるそこいらの草に対して高額な金を要求することにも納得いかないものがあったのでうやむやにしてかれらを帰した。われわれは何もケチケチしたわけではない。かれらの入会地に入り込んで山に登らせてもらう立場なので、ある程度かれらの利益をはかりたいと思っている。とはいえ、法外な要求には応じられないし、うかつに高額な支払いの先例を作ると後から来る隊の負担を増やすことにもなる。後日、ムグ村で仏像建立の寄付を求められたので、これには快く応じた。草の代金を請求されたのはここだけで、以後そのようなことはなかった。





▲ナムジャ・ラからチベットを見る


▲コジ・コーラの4500mで


▲高所順応行動中 奥がコジ・ラ


ナムジャ・ラからチベット高原を見る

6月18日、カプタンチャールからナムジャ・ラを往復した。視界は良くない。4700m付近から残雪が出てきて視界は少しずつ良くなってきた。峠に着いたのは10時前だった。国境の標識である石柱があり中国と彫ってある。チベット側には大きな湖と丘、草原がある。チベット側の風景はもちろん雄大で見とれるのであるが、茫漠としてつかみどころのない大陸的風景である。それに比べるとネパール側の谷は作りがこじんまりとして箱庭のようである。せっかく大ヒマラヤとチベットに来ているのであるから大陸的風景を楽しめばよいのであるが、箱庭に愛着を感じてしまうのは小さく繊細な自然の日本列島に身をおいているせいかもしれない。にもかかわらず、あの茫漠とした風景を忘れることができないのである。


コジ・コーラのキャンプ

コジ・コーラに入り4500mの川原にキャンプする。相変わらず天気は良くない。午前中は少し良くても昼前には雨が降り出したりする。こんな調子では登山活動ができるのかと暗澹たる気分に支配されるが、すぐに気を取り直して作戦を練り直す。BCをできるだけ上部に持っていくことで、わずかな晴れ間にも行動して登頂につなげよう。BCはコジ・ラ直下の5000mにある氷河湖のほとりにできないか偵察に行くようサーダーに命じた。サーダーは配下の高所ポーター2名を従えて出かけた。かれらは、氷河湖を越えてコジ・ラまで行った。ところが氷河湖の近くにBCを置くというもくろみは実現しなかった。そこまではラバが通行できないというのだ。それでもできるだけ上部にと考えて4850mに置くことにした。


5200mの丘で順応行動

BCの標高が高くなると高度障害が表れる可能性が高まる。そこで念を入れて対岸の5200mの丘に行くことにした。女性3人は渡渉するのにスタッフにおんぶしてもらった。おんぶされる前は、口々に「私は重いので申し訳ない」などと恐縮の態度を示していたが、スタッフの背中ではけっこう楽しそうだった。この丘に至る斜面では花が開花期を迎えていて息苦しさをまぎらわせてくれた。花好きのK藤は、咲いている花の名前にちなんで、ここを「アネモネデミッサの丘」と呼んだ。5080mまで登ると残雪の急斜面となったので、ここを最高点として下りることにした。この日は天気がよく、丘からはコジ・ラや6159m峰や対岸の山やまがよく見えた。

「西ネパールの山旅 ーカルマロン登山隊2011の報告ー その3」へ続く


メラピークKOBE(兵庫県労山に所属する神戸の山岳会)

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