(その7) 親爺たちの劔岳北稜記念山行

   −池ノ谷ガリーに可憐に咲いていたあの黒百合には出会えなかったヨ、    
    でも池ノ平から見る裏剣と仙人新道の自生ブルベリを堪能したヨ!−

(塩ちゃん)


Tankuro

チャゲ

塩ちゃん

メラピークKOBE20周年記念山行の一環として、合計年齢199歳の高齢グループであるわれわれは親爺Gとして岩登Gとは別の山行計画を立て実施した。

当初の計画は、別山平をベースにあまり記録に登場してこない源治郎尾根から剣本峰、さらに継続して長次郎ノ頭、池ノ谷尾根ノ頭、小窓ノ王、小窓ノ頭の各ピークを踏破し、大きく落ちた小窓から新たに北方稜線へと切り立ちうねり連なってゆく剣北稜の最終アンカーピーク池ノ平山を登りきり剣沢ベースに周回帰還することにしていた。






▲合計年齢199歳のヤングパワー”親爺G”
出発前HBCの気象情報をチェックすると、日本の南方洋上に大型の強い台風9号が発生し北上している。なんだか一寸気分が重くなる。この歳になると自分の力試しの目的以外は、どんな山行であっても頂上や稜線上では展望が開ける山行であってほしいと思わずにはいられない心境で神戸を発った。



8月1日(月):移動日 塩ちゃん車・神戸出発19:15〜20:15西宮・チャゲPU〜名神〜20:45高槻・TankuroPU〜多賀SA~北陸道〜23:30小矢部川SA(車中泊)

北陸道走行中にチャゲさんの携帯にmarikoさんから天候不安定の中での計画の実施有無についての確認の電話が入る。運転中の塩ちゃんは良く聞き取れず生返事をしたが『雨模様の中では源治郎尾根からは登らない』と返答したとチャゲさん。パーキングエリヤに駐車し塩ちゃん車のルーフを開き天井を高くして3人で持参のビールで喉を潤す。明日の行動はBCを設けるだけなので、出発を遅らせることにし、天井を下げテント使用にして2人は天井上の人に、塩ちゃんは下で1:00過ぎには就眠した。



8月2日(火):第1日目 小矢部川SA7:00〜富山IC〜9:00立山ケーブル無料駐車場9:20〜10:15室堂〜別山乗越〜16:00別山平天場(会テントのエスパース3号をBC用として設営・幕営)

6時前後には全員目が覚め、SA内にある食堂で各自適当に朝食の麺類等を腹に流し込み、昼食用食料としてみやげ物コーナーで物色するも目ぼしきものもなく、全員が同じおにぎり2個パック(のり・わかめ)を購入持参することになった。立山駐車場では塩ちゃんとTankuroさんはそれぞれ複数のザックを背負子で再パッキングし直し、3人は車中の人となった。塩ちゃんは7.8年前に来て以来の剣を、Tankuroは半世紀ほど前の学生時分の剣山行を懐かしんでいる。車窓から目で追う三人三様の剣が目に飛び込んでくる。今のところ天候はおちついてはいるが、今夜からこの先の山行期間中はあまり期待できそうにない。剣御前小屋手前のジグザグの取り付きあたりを喘いでいると、上から軽快に降りてくるカワイ娘ちゃんを観るとザックにヘルメットを垂らしている。塩ちゃんは背負子を下しへタレ込み「どこ行ってきたの〜ッ」っと一声かけてみる。「剣〜」っと返る「ジャ〜なくてー、どのルート?」「アッ、源治郎〜」、「何人で〜?」っと言う私に「一人で」、驚きと尊敬のまなざしで「雨は?」と続けると「大丈夫だった」っと娘。「取り付きから本峰まで4時間で登ったけど、下りに警察のビックリ腰の団体登山で抜くに抜けなく、ッたく〜参ったよ(笑)、オジサン源治郎行くのにこんなとこでへたばっていたらアキマセンヨ〜(笑)、ジャッ」と手を振り大きな荷物を背負いながら軽くひょいひょいと雷鳥平に駆け下りていった。親爺3人は「娘一人で源治郎だって〜、まいったナ〜」と口々に、ほころばせた目を合わせた。山行前のボッカトレが充分ではなく、特に塩ちゃんは登りになると息を切らしていたが、同行2人は順調に歩を進めている。
雲行きが次第に怪しくなり、御前小屋に着くころには一面薄いガスに覆われて剣をはじめ周りの稜線と山肌の輪郭は全く姿を隠してしまっている。一服付け別山平へユックリ下降し16時天場に到着。平日であったためか天場には僅か7〜8張の天幕が三々五々散らばって設営されていただけで、静かな入山初日となった。警備隊詰所に一番近いボルダー岩横にBC 用のエスパースを設営。 設営後、早速警備隊で登山計画提出(コースの情報を聴取するが大した情報は得られず)と天場代3000円(2泊以上@1000円/人)の支払いを済ませ、BC設営祝のビールを新装なった剣沢小屋でチャゲさんに購入してきてもらい、ひとまず天幕で乾杯となった。宴もたけなわとなったころ、外では霧雨が辺りを湿らし始めた。警備隊への計画提出時、当初立案計画のままで提出するか修正計画で提出するか迷ったものの、結果的に源治郎尾根登攀を北稜帰還後の後半にずらし、独立した別個の計画として提出した。これで塩ちゃんにとって明日の出発は少し気が楽になっていた。警備隊へ提出した修正計画概要は3日長次郎〜熊ノ岩、4日熊ノ岩〜長次郎コル〜池ノ平山、5日池ノ平山〜別山平BC、6日源治郎尾根登攀、7日帰神と記載した。明日の泊まりは熊ノ岩だ。今日はユックリ宴を張ってこの時のために担ぎ上げた「一刻者」を賞味する。帰還後の合同宴会用分として半量をBCに残置し飲むことにする。明日からの夕食時のアルコールは「余市」だけとすることにした。この晩はTankuroシェフの鮮やかなトムヤンクン鍋を囲み、ゆったりした時間を山の話、明日以降の携行装備類の変更・BC残置装備・食料等などを確認しあい、盛り上がりのなか明日以降の天候回復を祈りながら21:00頃にはシュラフに潜り込んだ。明朝の起床5:00、出発は7:30とした。 (朝食:SAで、夕食:トムヤンクン)





8月3日(水):第2日目 別山平BC7:25〜8:55長次郎雪渓出合9:10〜12:00熊ノ岩(幕営)

5:00起床、天幕のチャックを下ろし外に首を突き出してみる。日の出は4時56分頃なのだが靄が掛かり少々薄暗い。深夜トイレにたったチャゲさんは小降りの雨であったという。やっぱり源治郎を後に廻してよかったと安堵した。今日の行動予定時間は短い。気持ちが乗れば長次郎のコルまで歩を進めると翌日以降の行動が少しは楽になるのだが、いまいちコルまで詰め上げてしまうと翌日の天候不順のばあいは気が萎えて本峰経由下山、てなシナリオも考えられ到着時刻にかかわらず熊ノ岩でのビバークとして、ユックリ景観と雪渓を愉しみながら歩こうということにした。BCを7:25出発し新装なった剣沢小屋裏をすり抜け最初の滝を通過し少し下ると始めて雪渓に降り立つことになる。雪渓のスプーンカットに歩幅をあわせながら長次郎雪渓の出合いまでアイゼン付けず下降することにする。豊富な残雪の武蔵谷、平蔵谷を左岸に覗きながら、源治郎尾根の取り付き地点を観察する。塩ちゃんは以前経験したルンゼルート取り付きを懐かしく目でトレースしながら、8:55長次郎雪渓出合いに着く。このとき大岩に掘り込まれたレリーフに初めて気づいた。先が読めるゆとりある行動ゆえ発見できたのかもしれない。彫られた文字は判別しづらい、『一体、この眼鏡の人物は?帰ってからネットで検索してみよう』(現在未検索)出合いで20分ほど休憩し、全員アイゼンを装着する。ここでは薄日が差しているが東・南の尾根筋はどんより霧が覆って視界は利かない。塩ちゃんの登高速度はユックリで、30分ごとに本人が馴染みの露岩で1本のペースで小休する。時間はタップり慌てる必要もないし、慌てても所詮なかなか熊ノ岩は近づいて来てはくれない。5・6のコル辺りで6,7人の若者が滑落停止訓練をやっている。『こんな緩斜面でしなくても・・・』と心で呟きながら、最後の1本を彼らの訓練を横目で見ながら採る。突然コルから大きなゴー音がし、人間大ほどもある岩が猛烈なスピードで砕けながら雪渓上に落下してきた。我々が「落ッ~く〜!」と大声を発っすると、若者たちは右へ左へ蜘蛛の子を散らしたように逃げまどっている。「しかし、大きかったナ〜」と言いながら、少し滑稽な状況を後に我々はその場の腰を上げた。熊ノ岩を左岸から巻く。12:00熊ノ岩ビバークサイトに着く。残雪量は多く2人用テント4〜5張が精一杯の状況だが、今のところ先住者は無い。設営後も静寂の中に八ツからのド~ン、カラカラと響き渡る落石の不気味な音だけで、翌朝まで結局1張3人だけの貸しきり天国を満喫できた。ここから右股の池ノ谷乗越方向は手前の数本のクレバスを確認できるが、肝心のコルはガスで見通せない。天候は少し気がかりだが、左股も残雪は豊富で、明日の登高は楽しみだ。熊ノ岩中央の豊富な融雪水が音を立てて流れ出している。水の不安が無く幕営できるのはありがたいものだ。以前幕営した折この水で体の汗を拭ったことを思い起こしながら夕食用の水を汲んでいた。夕食までまだ4,5時間もあるので持参したおつまみを肴に3人車座になりウィスキー「余市」をちびりちびり飲った。日本でも1級のサイトで、晴れておれば落ち込むルンゼの正面に鹿島が見えるはずだが、今日は全く展望は利かない。源治郎のT・U峰も根元からガスに隠されてしまっている。カッパを出すほどではないが時折霧雨が来る。ここがはじめてのチャゲさんのためにも『何とか展望ヨ、開いてくれ~!』と心では祈るものの、この後も無情にも霧は切れなかった。16:00天気情報を得ようとラジオをエリアに合わせてセットするが全く入らない。入るのはFM北陸のみでまともな気象情報を得られないまま夕暮れを迎える。早目にTankuroシェフの調理で夕食をとる。飲みきってしまったウイスキーに未練を残しつつ、19:00天幕に潜り込む。しばらくすると細い雨脚が天幕に弾きだした。今日から2人用アライゴアライズで3人が就眠することとなる。ザック類は外に放り出し纏めてツエルトを被せる。明日の行程が今回の核心なので起床3:00、出発5:00とし、大の男3人だが何とか入り込み各自夢の中の人となる。 (朝食:ボンゴレスパゲッティ、夕食:バエリア+味噌汁)



8月4日(木):第3日目 熊ノ岩5:20〜6:40長次郎のコル7:00〜7:30長次郎ノ頭〜8:35池ノ谷尾根の頭8:45〜9:15池ノ谷乗越9:30〜池ノ谷ガリー下降〜10:10三ノ窓10:30〜小窓ノ王バンド〜13:50小窓14:50〜小窓雪渓下降〜15:15旧鉱山道取付〜16:50池ノ平小屋天場(幕営)

3:15起床。台風9号は沖縄の東にあり進路を西に変えたようであるが、稜線上はなかなかガスが切れない。中途半端に南からの湿った空気が気圧の谷に沿って流れ込んできているようだ。昨夜半は少し遠雷が耳に触れたものの心配した落雷が無かっただけでも良しとすべきなのかもしれない。昨夜からの雨は何とか上がったものの周りの景色はハッキリしない薄靄の朝を迎える。しかし身近で豊富な水量のおかげで充分な水分補給もでき、ゆっくり朝食を胃袋に落とし込む。昨日のウイスキーは夕食前の5時間をかけて皆でユックリちびちび飲み干したお陰で二日酔いの兆候は全く無い。天幕撤収し登攀準備をしアイゼンを装着し終えた頃には、僅かな雲の切れ間に一瞬の薄日も射しはじめた。出発は予定より少し遅れ5:20となった。長次郎のコルまではさほど難しい箇所もなく、コル直下の3本のクレバスも問題なく通過し、6:40コルに到着。コルには小さい天幕1張分のビバークサイトができていた。着いた早々に頭の方から懸垂で下降してきた若者一人と出会い立ち話をして、写真を撮り合った。
所属は奈良山岳会の気持ちのよい青年で昨夜は三ノ窓でビバークしたが、入山からずっと雨に祟られているとのことだった。7:00長次郎ノコル出発。長次郎ノ頭への取り付きは顕著な3本のルートのうち一番長次郎谷側の斜傾バンドを選択したことでザイルを使用することは無かった。7:30長次郎ノ頭を踏む。リッジの長次郎側についた踏み跡を辿るとそれほど問題になるところはない。この頭からは2枚岩の衝立を立てたような池ノ谷尾根の頭が薄靄の中にシルエットを浮かび挙がらせている。8:35池ノ谷尾根の頭下に着く。壁2枚に挟まれた空間は中型テント2張はれるほどのビバーク最適地となっている。冬季用にデポしたと想われる錆付いた一斗缶が灰褐色の殺風景な中に少し街の匂いを醸し出していた。ザックをデポしこの頭を踏む。
1本入れて8:45出発、這松に足を捕られそうな短いが痩せ尾根を通過すると赤茶けたザレ場に出る。池ノ谷乗越への下降点で、しばらくガレたルンゼを慎重に降り途中で小凹角に移り下降した。この凹角は慎重にスタンスを探せば問題はなく9:15池ノ谷乗越に降リたった。ガスっていはいるが急激な天候の崩れはなさそうだ。小休を採り9:30池ノ谷ガリーの下降を開始。いつきても気持ちのよい場所ではない。救いは以前ジャンの基部に可憐に咲いていた黒百合に再た出会えるかもしれないという、淡い恋心のような気持ちだけで必死にズルズル滑り降りる。しかし会いたかった懐かしの黒百合の姿はどこにも見当たらなかった。
三ノ窓10:10着。各自レーションを摂り、10:30正面に見える小窓ノ王バンドに向かう。当初の計画ではこのピークも踏む予定であった。しかし一旦コルに上がり雪渓沿いに廻り込まねばならず、この時点で目論見より1時間以上タイムロスを生じていたため踏破は断念し先へ進むことにした。バンドを這い上がると西面はガスって視界は無いものの、東面は少し明りが指し始め展望も開けてきた。ガスればここからのルートファインデングが難しい。少しホッとした気持ちになる。過去の経験では小窓ノ頭辺りまで這松帯を稜線通しに進み、頭の下あたりでジグザグに下降していった記憶がある。内心『よし行くぞッ』と這松帯を進みだしたところ、直ぐ明瞭な分岐点となり綺麗な踏み跡とペンキ印が右下方向へと導いている。左方向はぼんやりとした視界に稜線上の這松が靄の中で延々と続き、踏み跡も薄い。迷うことなく右方向の踏み跡を辿ることにしてしまった。この時点で小窓ノ頭を踏破する可能性が無くなったことには全く気づかなかった。当然少し下降して再度どこかで稜線付近に戻るだろうと甘い判断をしていた。しかし、この綺麗な踏み跡はどんどんジグザグに下降しつづけた。最初のトラバースすべき雪渓が現れた時、経験と違ってあまりにも幅が広く(15〜20m、過去の経験では稜線に近いため幅は5m程度)、またガスが切れかけてきた稜線上を見上げて初めて『間違ったかナ〜?』というお粗末さに『しまった〜』っと、自分自身の心の中では叫んでいた。経験していたルートよりかなり高度(100m程度?)を下げていることに気がついた。その雪渓は傾斜角度もそこそこあり、滑ると一気にすぐ下に大きく口を開けたシュルントか、そこからは見えていないがその先に待ち構えて水の落下音だけが不気味に聴こえている滝(小滝?)に飲み込まれそうである。しかしここでザイル、アイゼンを使用するとさらにタイムロスを生じる。全員の技量問題なしと判断しカッティングで通過することにした。超えたところは草付きの岩場で、そのまま斜面に沿ってさらにトラバースを続ける。傾斜がより緩んだ箇所で次なる幅広の雪渓上部が現れたが、ここは上部の岩場帯にルートを採り大きく高巻いて雪渓対岸に降りた。見上げると稜線を境にガスがカーテンのようにこちらに拡がる青空とせめぎあって上昇している。小窓ノ頭がここからハッキリと目視できた。ここでまたひとつの頭の踏破を断念せざるを得なくなった。直ぐ下には小窓とその先正面には池ノ平山が鋭利な刃物のように峻立している。手に届きそうな小窓の距離ではあるが、なかなか縮められない微妙な高低差のジグザグ下降が続き、コル手前のガレたルンゼに入る。


『やっと来たナ〜、でもこのルンゼ、こんなに荒れてたかナ〜』と安堵感とともに稚拙な経験則に自問自答しながら草付の中13:50小窓に降り立った。三ノ窓から3時間半弱も掛かってしまった。ガレ下降に疲労困憊したのでここで暫しお茶タイムとし、一段下がった一張分のビバークサイトでザックを下してお茶を沸かし喉を潤した。15時の定時交信の時間も近づいてきている。このまま池ノ平山に取り付いてしまうと、這松の木登り・枝登り状態が続く。リッジの左は切れ落ちており途中ザックをおけるだけの余裕のテラスは記憶には無い。タイムロスと疲れもありこの先のルートを説明し3人で協議した結果、小窓雪渓を下降し旧鉱山道のルートで池ノ平小屋天場に向かうことにする。定時交信に備え無線の電源は開放しておくことにして14:50アイゼンを装着しコルを出発。しかし旧鉱山道の取り付き点は判り辛い。事前のネット情報ではいろいろ書かれているようだがここで整理しておく。右岸の小滝を通過し、ほとんど大滝手前左岸のガレて短い小ルンゼの末端正面奥のガレた壁下の岩2つに上下連続して白丸印が描かれている。ガスっていれば見落としやすい位置に描かれていた。大滝の落下音を確認して改めて左岸へ移動、少し登り返し確認するしか手立てはないかもしれない。小窓のコルからユックリ歩調の25分くらいの下降で15:15旧鉱山道取り付きに着く。途中15時にこちらから交信入れるも応答は無かった。アイゼン・ピッケルを収納し右手に大滝を眺めながらトラバース道を快調に進み、大滝展望台に着き一息入れる。平の池越に小屋の赤いトタン屋根の一部が見える。17時の交信時刻が迫っており、長居は無用と腰を上げる。直ぐ幅10m位の雪渓が現れるがここもカッティングで通過し16:50池ノ平小屋天場に踊り込んだ。天幕設営し交信するもやはり応答は無かった(後で判明するが、受信側は聴こえていた模様)。小屋受付で天場代@600円/人を支払い、無料の仙人山ルンゼの天然水をオプティパスにタップリと詰め、缶ビール・カップ酒(大@650、小@500、酒@500)を購入する。晴れ渡ってきた空の下、小屋のベンチで持参のつまみ類を肴に缶ビールで乾杯した。いつの間にか八ツ峰下部のガスも切れ、広がった青空の下には裏剣の全貌が陰影で鋭く浮き上がっている。ここでしか味わえない至福の一等地で一夜を明かす喜びに酒盛りは続いた。手作りの露天風呂もあり幕営者にも無料で開放している。今夜の幕営者は我々と単独者の一張のみだ。夕食準備をしていると男性2名、女性4名のパーティーが鉱山道の方から現れた。彼らは小屋泊まりで、後で小屋番の菊池さんに聞くと芦屋のガイド三輪氏とその客で、昨日5・6のコルから八ツ上半縦走し三ノ窓でビバーク、チンネ中央を登攀し降りてきたらしい。女性客たちは私たちが食事で占領しているベンチ横の露天をかわるがわる愉しんでいた。小屋番菊池さんからのありがたい缶ビールの差し入れも手伝い静かな帳が下りたベンチでヘッ電の明かりを漂わせ、侘しい材料ながらも楽しい夕餉に満足感いっぱいの食事であった。明日の天候は回復傾向と判断し、一気にBCに帰還せず途中の真砂沢ロッジ天場で締めの幕営をしようと意見が一致。ユックリ裏剣の展望を堪能しながら歩くことにし、翌朝は10時の遅発ちとした。 (朝食:棒ラーメン+餅、夕食:牛丼+味噌汁)



8月5日(金):第4日目池ノ平小屋天場9:15〜10:00仙人峠10:30〜仙人新道〜12:20二股13:00〜14:40真砂沢ロッジ天場(幕営)

遅発ちと決めていたものの習慣で早く目が覚めてしまう。外の空気を吸いに起きだす。池ノ平山北東壁は赤く染まり、チンネの基部は三ノ窓雪渓の燃える赤に峻立している。今日も天気は持ちそうだ。安堵感からまた天幕に潜り込む。ガイドパーティーの一行は早や出立の挨拶を小屋番菊池さん達にしている。一行の出立時、小屋前にある釣り鐘を菊池さんが鳴らしている。今日は一気に室堂までの行程らしいと菊池さんが、彼らが去った後聞いてみると言っていた。ごそごそしながら全員起きだし、この時とばかりにテント、シュラフ、マットの天日干しをする一方で小屋前ベンチで朝食の準備をする。菊池さんとボランテア2人は小屋周りの整理と布団干しに余念無く手を休めることなく動いている。忙しく働く彼らをよそ目に我々はユックリと朝食を済ませ天場で出発の準備を整える。天候もよく菊池さん達に挨拶をし、結局出発は9:15と早まってしまった。出発し45分少々で仙人峠に着く。以前には無かったガッチリしたベンチとこれから続く下降路の出始めには距離は短いが木道で整備されている。直ぐ下には仙人池ヒュッテの赤トタン屋根も見える。奥仙人山越しの後立山連峰は肝心のピークに層雲が掛かり同定しづらい。強い日差しが照りつけ出した。10:30重い腰を上げ二股に向け登山道を下降する。この仙人新道の中間辺り両側は自生のブルーベリーが群生している。高度を下げて行くほど熟れた実がたわわになっている枝先に、思わず足を止めて採っては口に放り込む。小粒ではあるが乾いた口に纏めてほうばればちょっとしたデザートである。これを繰り返しながら二股の近藤岩に着いたのは12:20であった。吊橋の手前の表面が平らな大岩に上がり湯を沸かしお茶タイムとし、各自レーションを摂る。激しく流れ落ちる北股の先に目を遣ると、三ノ窓雪渓の白い帯が黒い岩肌のチンネ・小窓ノ王に向かって左に捩れながら突き上げている。ここで裏剣は見収め、これから先はこの裏剣の景色を目にすることはできない。見収めかと想うと一抹の名残惜しさも沸いてきた。13:00真砂に向け出発する。新しくなった鋼製の吊橋を渡り、蛇行する南股の左岸を所々現れる鎖・梯子・丸太を愉しみながら14:40真砂沢ロッジ天場に着いた。ここでの予定外の幕営となり共同食料が底をついている。小屋で食事が出来るか聞いてみるも残念ながら出来ないとのことであった。とりあえず今晩の食材(おでん、カップうどん、ビール、日本酒5合)をロッジで購入し、天場のオープンスペースで石を並べて車座で夕餉の宴会をした。酒を飲み干してしまったとき、Tankuroさんがロッジからウイスキーをもって帰って来た。買ってきたのかと思いきや、ロッジの親爺さんがタダでくれたそうで、一同有難くすぐこれも飲み干してしまった。我々の天幕のすぐ横には関学山岳部の大きな天幕が張られていた。濃いガスが山肌から降りてきている。今夜は降るかもしれないと想い、飲み食いするネタもないので早々と19時には就眠体制に入る。夜半には想ったとおり雨粒が天幕をたたき出した。明日はBCに帰幕するだけ、起床・出発時刻決めず。 (朝食:カルボナーラスパ、夕食:カップうどん+おでん+日本酒等)



8月6日(土):第5日目真砂沢ロッジ天場6:45〜9:55別山平BC(幕営)

各自行動食で朝食を済ませ6:45出発することにする。真砂沢ロッジの上部に延びてきている剣沢雪渓末端の中央部の崩壊は進んでおらず綺麗な形で残っている。剣沢左岸をしばらく行くと雪渓が崩壊した滝が現れた。左岸の高巻の後再び雪渓に乗る。アイゼンをつけ歩き出すものの腹にまともなものが収まっておらずシャリバテ状態だ。塩ちゃんはどんどん2人に引き離された。平蔵谷の出合いで1本を入れてもらう。薄い霧雨に雨具を着用する。源治郎尾根から男女2人組が下降し装備をまとめていた。彼らとの立ち話で、尾根には2パーティ登っているとのこと。年齢・風体を聴くにどうもメラのメンバーとラップする。内心『この天気で大丈夫かいナ?』と心配するも、『やっぱ、先にヤラレタ〜((+_+))』と思ったのが本心でした。後で判明したことだがこの2名は和歌山労山のメンバーで、1時間ほど登って雨で滑るためやむなく撤退下山してきたとのこと。剣沢小屋で我々が縦走お疲れ様!乾杯用のビールを購入しようと立ち寄り、先について入口軒先で雨宿りをしていた彼らと言葉を交わしわかったものである。天場BCには9:55到着。広いBC用天幕に滑り込み、早速買ってきた缶ビールで乾杯をする。ここにデポしておいた食材で豪華朝飯・昼飯兼用のプチ宴会は昼ごろまで腹一杯になるまで飽きることなく続いた。回りには2張の会のテントが張られていた。その1張りに○玉さんが1人寂しくテントキーパーを務められていたので、改めて4人で再会プレ合同宴会を開いた。この時点で初めて若者チームが源治郎登攀を中止し別ルートでそれぞれ剣を含め近場の山に向かっていることを知った。少し安堵した。この親爺Gの帰還宴会はその各チームが帰還するまで続いた。皆が帰還し集まった頃、本体のテントでyukaさんが担ぎ上げた久し振りの生野菜等で幹杯する。夕餉は全員集合しての合同晩餐会となり、雨も上がりZONOシェフによる特製カレーをテントの外で車座になり舌鼓し交流を深め、記念山行の締めくくりとなった。 (朝食:各自レーション、夕食:合同宴会でカレー)



8月7日(日):第6日目 別山平BC5:45〜9:30室堂ターミナル10:00〜バス・ケーブル12:15〜13:00亀谷温泉・白樺ハウス14:30〜富山IC〜北陸(尼御前SA)・名神(多賀SA)〜20:00神戸

今日は帰るだけ。昨夜久しぶりに全身を伸ばせたエスパース3号を撤収し、背負子にザックをまとめ予定より早めに歩き出す。二日酔いだろうか?やっぱり脚が就いてゆかない。剣御前ではとうとう岩登Gに先を譲ってしまった。最後の雷鳥平から室堂への登りはヤッパ堪えました。 (朝食:牛丼)

▲剣沢集合写真  



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